タイムスリップ・キス
ポケットの1,000円を握りしめ、カフェに飛び込むように入った。

もうその瞬間には入っていたかもしれない。

それぐらい焦っていた。

窓越しから見る伊織先輩に心臓がうるさかったから。

「…っ」

ドアを開けた瞬間から溢れる芳しい香り。

アンティーク調の店内はうっすらと照らす間接照明が温かく、ティーポットが置かれたシックなテーブルに、ふかっとした貝殻フォルムが可愛いソファーにお客さんたちが座っていた。

すぐに探した。

窓越しから見た横顔を。

私が見間違うはずない、あれはきっと伊織先輩だった。

「……。」

ゆっくりティーカップに口を付ける凛とした横顔、カウンター席に座る透明感漂う男の人。



神代伊織先輩。



すぅっと静かに深呼吸をして、隣に座った。

「いらっしゃいませ」

カウンターの前で店員さんがお水を出してくれた。

よくよく考えたらこんなおしゃれカフェ1人で来たことなかった。

行ってマックとミスド、急に緊張し始めた。

来てる服も山田のパーカーだし、いいのかな!?こんな格好で来ていいとこなの!?

「あ、ありがとうございます」

「こちらメニューになります、どうぞ」

「はいっ、ありがとござ…」

………。

えー

紅茶ってこんなに種類あったんだー

女神の祈り、オレンジ色の幸せ、パステル色のおたんじょう日…?

これって何のメニュー?本当に紅茶?

頭の中のクエスチョンが止まらなかった。

……。

普通に無難なの頼もう、こんなの頼んだら背伸びしすぎてる。

「すみませ…っ」

店員さんを呼ぼうと右手を上げた。
そっちに気を取られ、持っていたメニューが水の入ったコップに当たった。

「あっ」

やばいっ

急いで手を伸ばしたけど、ガタンッと音がした時にはもう遅かった。

そのまま倒れたコップからジャバ―ッと水が流れた。

「すみませんっ、あのっ」

フラッシュバックのように蘇る、前にも似たようなことがあったなって。

あの時はドリンクバーでぼーっとしてたからだったけど。

びちゃびちゃになったテーブルに慌てる私に横からサッと手が伸びてきた。

「大丈夫?」

店員さんより早く、青いハンカチを持った伊織先輩の華奢な腕。

「濡れなかった?」

伊織先輩は5年経っても変わらない、優しさがそこにはあった。
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