タイムスリップ・キス
それぞれ空になったコップを持って部屋を出た。

ドリンクバーは部屋を出て真っ直ぐ行ったところを右に曲がる…

「あ、晴ちゃん」

店内中どこもかしもこ剥げててボロッとしてるけどここが1番近いからだいたいカラオケと言えばみんなここに来る…

って、わかってたはずなんだけど。

さっきまで上がってた頬の筋肉に違和感を感じた。


…あれ?私、今どんな顔してる?


「伊織先輩…」

と、女の人。


“同じ2年の小西優月ちゃんっていうんだけど”


どうしよう、なんて言ったらいいんだろう。

喉が詰まる。

直視できない。

コップを持ったまま動くこともできない。

とんっと山田が背中を押した。

「早くジュース入れて戻ろうぜ、まだ歌うからな」

「あ、うんっ」

伊織先輩たちが氷を入れてる隣でドリンクバーのオレンジジュースのボタンを押した。

こんな時、いつもの私なら…


“伊織先輩何飲むんですか?”

“カラオケで得意な歌って何ですか?”

“私もカラオケよく来るんですよ!”


ってとにかく何か話してた。

そしたら伊織先輩が…


“ウーロン茶だよ”

“そんな得意な歌なんてないし”

“じゃあ今度一緒に…”


は言ってくれなかったけど、笑って返してくれた。

私のどんな些細な話でも笑って…

でも、もう何も言えないや。


だって私、フラれたんだもん。


「…ぃば!椎葉!こぼれてる!!!」

「え?」

山田に名前を呼ばれて気付いた。

ずっと押し続けたオレンジジュースがコップから溢れていた。

「え、あ!わっ!」

ぼーっとしすぎて指を離すのを忘れていた。

あわてて離した時にはすでに遅し、コップの周りはびっちゃびちゃだった。

「何やってんだよ~、何か拭くもん!えっとっ」

すぐに横に置いてあった台ふきを手に取ったけど、ちょっとこぼしちゃったのを片付けるように置いてある濡れた台ふきじゃ全然役に立たなくて余計あわあわなった。

店員さん呼ぼうかな、呼んだ方が早いよね…!?

「大丈夫?」

隣からサッと手が伸びてきた。

ハンカチを持った白くて指のキレイな手に思わず見とれてしまった。

その白くて指のキレイな手はあっという間にオレンジジュースを華麗に拭き取った。

「あのっ、すみません!」

「大丈夫?制服汚れてない?」

「制服は全然、でもあのっ、ハンカチが…っ」

「ハンカチは洗えばいいから、気にしないで」

優しくにこっと笑った姿が伊織先輩とおんなじだと思った。


大人っぽくて、落ち着いてて、可愛い人。

これが小西優月先輩だ。


「…ありがとうございます」

たったこれだけだったけど、瞬時に勝てないって思った。

私にはないものばかりだったから。
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