タイムスリップ・キス
重い足取りで向かった先、ゆっくりとドアを開けた。山田のアパートの、何度も開けたことのあるドアを。

「おかえり」

私が何か言うより先に山田が口を開いた。

落ち着いた大人の男の人の声で、怒られるかと思っていたのに全然そんな様子ではなかった。
私の顔を見るとはぁーっと安堵したような表情を見せ、右手で顔を覆って俯いた。

「マジで急に飛び出してくんのやめてくんない?せめてスマホ持ってけよな。何のために買ったんだよ」

怒ってはいたんだと思う、だけど口調は優しくて決して私のことを責めてはいなかった。

「心配する」

「…ごめんなさい」

「帰って来てよかったわ」

それどころか静かに息を吐く様にそっと微笑んだ。感情のままにここを飛び出したけど、過去(いま)の私に行くところなんてなくてここへ戻って来ることしか出来ない。

「…ここしかいさせてもらうとこないから」

すがれるところは山田しかないの。

「迷惑ばっかりかけてるけど、もう少し…置いてください」

もう山田は嫌になってるかもしれないけど。

ぐぐっと頭を下げた。

本当、何しに未来(ここ)に来たんだろうね。

これじゃあ山田に嫌われるために来たみたいじゃん。そりゃ未来(こっち)の私も嫌になるよ。

「…晴も不安だよな」

ぽんっと山田のあったかい手が私の頭に触れた。

「別れたらいいのになんて誰でもよく思うことじゃん?かと言って、思ったからってさ…本当に未来に来ちゃうとは思わないし、帰り方も頼る人もいなくて怖いよな」

明るい声に励まされる。

ははって、笑ってる。

「気にすんな!」

…なんでそんなに優しいの?

私はそんな可哀想な子じゃないんだよ。

ずるいことばっか考えてるひどい奴なんだよ。

だからそんなに優しくしないでよ…

「好きなだけここにいたらいいよ、俺は全然いいから!」

私が戻って来た時には未来(こっち)の私はもういなかった。

それはきっと私に呆れて帰ったんだと思う。私だったらそうするから。

でも山田はこんな私にまだ付き合ってくれるんだ。

どうしてそんなに優しくしてくれるの?

過去(いま)の私は山田の恋人じゃないのに、山田が好きなのは未来(こっち)の私なのに。

それとも未来の恋人だから優しくしてくれるのかな。
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