禁断×契約×偽装×策略
第三章 真相と核心
 どれくらいの時間、見つめ合っていたのだろう。雪乃は貴哉の目力に負けて視線を逸らすと衣擦れの音がして、彼が立ちあがったことを察した。顔を上げずにいると、影が落ちた。肩に手を置かれ、じんわりと体温が伝わってくる。続けて顎に手が触れ、上を向かされた。あと言う間もなく、唇を重ねられる。

「! んんっ――だ、だめ!」
「どうして?」
「どうしてって! 決まってるじゃない。私たち、兄妹なのよっ」
「俺のことが嫌いか?」
「そういう問題じゃないわ」
「だったら俺を信じろ。それができないなら、これは契約なんだと自分に言い聞かせろ」

 そんな無茶な――そう言いそうになったが言えなかった。また唇を塞がれたからだ。

「……ん」

 口内に貴哉の舌が侵入し、中を蹂躙する。口端から唾液が流れるものの、ぬぐうことができない。息苦しさを我慢していると、貴哉が離れた。

「は、あ……」
「雪乃……雪乃」

 まるで熱に浮かされているかのように耳元で何度も名前を呼ばれる。その切ない声に胸が締めつけられて苦しい。鼻の奥がツンと痛み、視界が滲む。

(苦しい)

 なにが苦しいのか、なぜ苦しいのか、わからない。ただただ、苦しい。それなのに、首筋に貴哉の熱い吐息がかかると背筋がゾクリと震え、体の奥底からなにか得体のしれないものがせりあがってくる。

(やめて、お願い。もう、あんな過ちは繰り返したくない。それだけは、やめて。私にそれを思い知らせないで)

 ならば貴哉を突き飛ばせばいいものを、それもできない。全身に伝わっていく体温が恋しくて、愛しくて、切なくて、心が張り裂けそうだ。兄妹でなければ、なにもかも捨てて受け入れ、いや、自ら求めるのに――そう強く思う。

(こんなに好きなのに、許されないなんて! ダメなのに……こんなの、ダメなのに――)

 雪乃は貴哉の背に両手を回し、スーツを鷲掴みにした。
 チュッチュッと額や首筋にキスをされ、抵抗できない。

「雪乃、俺を信じてくれ」

 呟くような貴哉の言葉に、雪乃はハッと我に返った。

(そうだ、服従とか、契約とか、ひどい言葉を――)

 貴哉を見ると目が合った。真剣なまなざしには目力がある。凛々しく、迫力を伴った目に雪乃は吸い込まれそうな気がした。

「あ、の、聞きたいことが、あるの」
「なんだ」
「……奥様が、私の居場所をわかっていたのは鞄につけた発信機だとして」
「だとして、じゃなく、そうだろ」
「じゃあ、どうして貴哉さんは、わかったの? あの発信機は奥様じゃなくて、貴哉さんじゃないの?」

 貴哉は両眼を大きく見開き、しばらく雪乃の顔を無言で見つめた。

「貴哉さん?」
「……そうか、お前はどうあっても俺が信じられないんだな」
「それは」

「いや、いい。そうだよな。俺は、信じろ信じろって繰り返すだけで、信じてもらうための材料を提示していない。今まで過ごした時間とか、関係で、従ってくれるものを思い込んでいた」

 痛いところを突かれて雪乃は無意識に喉の奥に力を込めていた。

 そうではない。そうではないのだ。そう言いたいのに、言うことができない。言葉が喉に引っかかって出てこない。ただ安心させてほしいだけなのに。ただ安堵できる言葉がほしいだけなのに。それが伝わらない。遠すぎる。

 雪乃は、これは罪なのだと改めて思った。母親の葬式の日に、母親の遺影の前で、男を受け入れ、歓喜し、そして愛を抱いた相手が半分血のつながった兄だった事実。まさしく、大罪を犯したことへの報いなのだ。

「お前に」

 貴哉の言葉に目を瞬いてその整った精悍な顔に視線を向ける。

「お前に渡しているスマホ、内臓されているGPS機能を使ってどこにいるか把握している」
「……え」

 貴哉はふっと苦笑した。

「そうだ。ずっと前から、俺は、俺と父さんは、お前や綾子さんの行動を把握していた。まぁ、綾子さんはマンションから出ることがほとんどなかったから、実質お前の行動なんだけど」
「中学の時から?」
「そうだ」

 中学生になった時、実康からスマートフォンを渡された。みな持っている物だから、雪乃も必要だろうということで。あの時からずっと雪乃を見張っていたのだと思うと、寒気が起こる。

「もう一つ言うと、お前はまったく気づいていないだろうが、距離を取ってシークレットサービスが安全を確保していた。それだけ、俺たちはお前や綾子さんの身を案じて守ってきたんだ」
「どうして」
「だから何度も言っているだろう。母さん、宇條京香は、お前が邪魔なんだ。今日もそうだ。GPSでお前が家を出たのがわかったから慌てて追ってきたんだ」
「私……」

 貴哉が手で雪乃の口を覆った。

「もうこの話は終わりだ。俺を安心させてくれ」
「…………」

 チュッという音とともに額に貴哉の唇が触れる。そしてギュッと強く抱きしめられた。

 心は混乱している。だが、この温かさは放しがたい。雪乃はもう自分の気持ちがわからなくなって、貴哉のぬくもりにただすがりたい衝動に駆られた。

「雪乃、俺の雪乃。誰にも渡さない」
「…………」

 貴哉の言葉が胸に沁みて広がっていく。

(いけないってわかってるのに……)

 貴哉がケーキを手にして訪れ、綾子と三人で誕生日を祝ったこと。高校の入学式や卒業式に来てくれたこと。クリスマス。成人式で着物を着て出かけたこと。今まで過ごした思い出が蘇ってくる。

(抗えない……私)

 雪乃の頬を涙が伝う。

 貴哉が雪乃を抱き上げ、どこかに連れていこうとしている。貴哉の目的を理解しながらも、雪乃は抵抗しなかった。

 寝かされ、服を脱がされ。温かくて大きな手が柔肌に触れてゆっくりと這いまわる。敏感な部分を丁寧に愛撫し、雪乃を淫猥な世界に導こうとしている。雪乃は貴哉が与える刺激を、嗚咽をもらしながら享受したのだった。

     ***

 貴哉の車で屋敷に戻ってきた。ハウスキーパーたちが驚いたようにこちらを見ているが、雪乃はうつむき加減になってそれらの視線から逃げた。

 貴哉に従って廊下を進む。突き当あたりを曲がりさらに奥へと向かう。どこに行くのかと思っていたら、最奥の部屋の扉をノックした。

 はい、と返事が来る。その声に雪乃は震撼した。

(奥様の部屋!)

 体はまださきほどまでの情事に揺れていて、奥底が疼き、女の部分が痺れている。ただでさえ人に会いたくない状態に陥っているというのに、よりにもよって貴哉の母であり本妻である京香の前に立つなど。

「貴哉さん、ダメよ」

 咄嗟に貴哉の手を掴み、声を殺してそう言った。だが貴哉は雪乃を一瞥しただけで無視し、扉に向かって言葉を発した。彼の精悍な顔には怒りが浮かんでいる。

「母さん、俺だ。入っていいか?」
「どうぞ」

 貴哉さん、と声を出さずに口だけ動かす。非難のまなざしを向ける雪乃の後頭部に手を回して掴み、強引に唇を重ねた。

「……んっ」
「心配するな。お前は黙って横にいればいい」
「…………」

 貴哉について部屋に入ると、当然ながら京香がいて、革張りの立派なソファに腰を下ろしていた。

「珍しいわね」

 そう言いつつ、ちらりと目が雪乃に動いたが、すぐに貴哉へ戻された。

「座って」

 貴哉の指示に従ってソファに腰を下ろした。足が震えている。いや、手も。雪乃は右手で左手を押さえるように掴んで膝の上に置いた。貴哉が雪乃の隣に座ると、触れた部分から体温が伝わってきて、ほんの少しだけ安堵を得た。

「まずはこれを返しておく」

 京香が貸してくれたクレジットカードだ。

「あら、不要になったの? ここにはいたくないと言って出て行ったのに」
「わざとらしいな」
「わざとらしい? どういう意味?」
「嫌がらせをして追い出しておいて。表立ってはいい人ぶるなんて卑劣だ」
「なにを言っているのかさっぱりね。嫌がらせをしているのは、ろくでもない派遣会社のスタッフじゃないの」
「彼女たちに事情聴取をしようか?」

 この言葉には返事をせず、京香はローテーブルに置いている煙草に手をのばした。火をつけ、口に運んで一服する。煙と一緒にメンソールの香りが広がった。

「鞄に発信機をつけて襲わせるなど言語道断だ。雪乃は俺が絶対に守る。今後は俺の女として守ることにしたから、手出しは無用だ」

 雪乃と京佳、二人同時にギョッと目を剥いた。

「ちょっと、貴哉さん」
「お前は黙っていろ」
「でも」
「黙っていろ!」
「――――」

 怒鳴られ、雪乃は目を瞬きながら引き下がった。
 一方の京佳。美しい顔は血の気が引いていて今にも卒倒しそうだ。

「今後一切嫌がらせはさせるな。それができないなら、俺が今の派遣会社を切って別の会社に切り替える。母さんの言うことは一切聞くなと念を押してだ」
「あなた、貴哉、なにを言っているの」
「わからないならそれでもいい。だが、俺は本気だ」
「正気なの? この娘はあなたの妹なのよ?」
「そうだが」

 平然と言う貴哉に京香はまたしても言葉を失ったようだ。だが、雪乃は貴哉が妹であることを簡単に同意したことに改めてショックを受けた。心のどこかで違ってほしいと思っていた。いや、願っていたからだ。

「母さんがどう思おうとご随意に。だけど俺はこいつを女として囲うことにしたんだ。誰がなんと言おうと」
「バカなことを」
「もう決めたんだ。母さんが卑怯な手を使って虐めるばかりか、命まで狙ってあんな連中を雇うんだから、はっきり言うことにした」

 貴哉は吐き捨てるように言うと、雪乃の肩に腕を回してぐっと引き寄せた。そして首筋にキスをし、雪乃を引っ張って立ち上がった。京香の目は貴哉を追っているが、顔面蒼白で愕然となっている。返す言葉はまったくないようだ。二人が部屋を出ても反応はなかった。



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