禁断×契約×偽装×策略
「彼は親の会社を継いで社長をやっていますが、それはここ二年前からの話です。高校卒業以来アメリカで暮らし、向こうの大学を出てMBAを取得しています。その時、アンバリュー・グローバルマネジメントのクリストファーCEOのもとで十年修業してましてね。このアンバリュー・グローバルマネジメントって会社は、小ぶりだが力のある企業で、知っている者の中では有名なハゲタカファンドです。彼はそこで会社分析のハウツーノウハウを叩きこまれているんです。その会社がどういう状況なのか、財務分析は当然のこと、活動状況、事務所や工場の労働環境、従業員の雇用環境、すべて足を運んで徹底的に調べるんです。徹底的にね。今回もたった四日で十八社調べてくれました。本当に優秀な方であり、会社ですよ。今頃疲れてぶっ倒れているんじゃないかと思います」

 貴哉は一気に話し、ここで喉を潤わせてからまた続けた。

「そこでお祖父さんに相談です。俺は佐上家の孫でもあるわけで、母方の実家が犯罪行為をしていることが世間に知れ、さらに宇條実康の血を引いていない状態で、宇條グループの総帥になることはいいことなんでしょうか。なんの汚れもない宇條実康の娘のほうがいいんじゃないでしょうか。どう思われますか?」

「…………」
「黙ってないで、この若輩者にアドバイスをしてください」
「お前は――」

 貴哉は茶封筒を佐上に体に投げつけた。

「事を公にせずこの悪行を黙っていてほしかったら、今後一切宇條に関わるな。これは忠告だ。だが、宇條グループの名を使って動かしている会社については、取引会社すべてに無関係を通達する。祖父さん、しばらく俺の顔を見たくないだろう。安心してくれ、俺もあんたの顔は見たくないな。思いは一致しているが、孫として多少の温情はかけてやる。宇條に手を出すな」

 貴哉の言葉に佐上は顔を歪ませ、封筒を手に立ち上がって逃げるようにその場をあとにした。

「ざまぁみろ、クソじじい」

 吐き捨て、今度は顔を隣の京香に向ける。京香はまったく動かない。

「斉木の手腕は買っているが、完全に俺の味方かどうかは不明だ。だが、今回の餌は気に入ってくれたから、しばらくは俺側だ。俺に協力して、この数日でクソじじいの資金源を調べてくれたんだからな。それから雪乃との結婚の件だが、断るとのことだ。一歩、俺のリードだ」

「…………」

「俺たちが真実を知らないと思っていたあんたは、とんだピエロだったわけだが、これからどうするか聞かせてもらおうか」

「…………」

「なにも言わないなら俺から先に要件を言う。雪乃のことをあきらめるなら、それ以上は望まない。宇條に居続けようが、離婚しようが好きにしたらいい。雪乃は総帥になどなりたくないそうだ。俺たちが結婚したら、形はいびつでも宇條の名は継がれ、血も絶やさずに済む」

「結婚?」

 京香がこぼすように反復した言葉に貴哉は力強く頷く。

「俺はすべて白日の下にさらして正々堂々と、そう思っているが、雪乃の考えは違う。宇條実康は病気の遠山綾子の面倒を見ていた、遠山雪乃の父親は他にいて赤の他人だ、そう押し通せばいいんじゃないか、とのことだった。みなでシラを切り通せばいいってな。それが一番傷を浅く済ませられると」

「娘と名乗れないことを我慢すると?」
「ああ」

 京香は握りしめて形を崩しているタバコを持ち直し、火をつけた。ゆっくりと一服する。長い沈黙のあと、京香が口にした言葉は短かった。

「それでいいわ」

 貴哉は立ち上がり、精算用のテーブルナンバーカードを手にして歩きだした。そしてラウンジカフェから離れる際にちらりと視線を動かすと、京香はタバコを手にしたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 一人、静けさの中にいるが、不思議と怖くもなければ不安も感じない。いつ来るかわからない相手を待つというのは本来なら心寂しいはずなのに。

(私は貴哉さんを信じてる。お母さんがお父さんを信じていたように。なにも怖くない)

 ほう、っと大きく息を吐く。時計を見ると十二時だった。ここに来て、一時間半が経った。そろそろ終わるころだろう。そう思っていると、扉がノックされ、貴哉の声が聞こえた。急いで立ち上がり、扉に駆け寄って開く。貴哉は中に入るといきなり抱きしめてきた。

「貴哉さん」
「第一ラウンドは取ったが、その次はわからない。向こうも黙ってやられっぱなしではないだろうから」
「うん」

 ギュッとより強く抱きしめられて苦しいのに、うれしい。しばらく抱擁し、互いにゆっくりと離れると、急に貴哉が身をかがめ、そして雪乃を抱き上げた。

「ちょっ」

 そのままベッド傍まで行き、下ろされる。だがすぐに貴哉が覆いかぶさってきた。

「十二時よ? 真っ昼間よ?」
「上野も似たようなもんだった」
「そうだけど」
「雪乃を味わいたい」
「ダメよ」

 そのダメはノーのダメではないことは自分が一番よく知っている。服をはぎ取られ、肌と肌が触れ合うさまを雪乃はただ受け入れるだけだ。

 母も、同じであったのだろうと思いつつ、溢れてくる貴哉への愛に震えるばかりだ。

 ただ受け入れるだけだ。異なるのは雪乃が元気であることだ。命の秒読みをしていた綾子はその場に留まり、実康を受けとめることしかできなかった。しかし雪乃は違う。健康で膨大な時間がある。

(ともに戦い、ともに生きる。形や肩書きなんかにはこだわらない。貴哉さんが好き、貴哉さんを愛してる。この想いを貫けたらそれでいい)

 心の自由、体の快楽。互いの欲望を解放し、求め合い、高まり、絶頂を越える。
 二人は悦びに満ちた時間を共有し、強く抱きしめ合った。
 そしてゆっくりと静まり、冷静な自身に帰っていく。

「ねぇ」
「ん?」

 肉体は熱を失って冷めていて、触れている部分だけが温かい。

「知っていたら教えて」
「うん」
「お父さんとお母さんはどこで知り合ったの? お母さん、働いてなかったと思うし、大学にも行ってなかったと思うし」
「病院だって聞いてる」
「病院?」
「倒れて数日入院したことがあったんだ。その時、綾子さんと知り合ったって言ってた」
「そっか」

 雪乃は貴哉に抱き着いたまま、顔を胸に押しつけた。フンと汗とともに貴哉の匂いがする。それがうれしくて、ふふっと笑った。

「雪乃?」
「幸せだなぁって思って」
「ああ、俺も幸せだ」
「いろいろあるだろうけど、貴哉さんの傍にいられるように、頑張るから」
「それは俺のセリフ。雪乃の傍にいられるように、頑張るよ。だから、一緒に戦おう」

 それは雪乃にとって、なによりもうれしい誓いの言葉だった。



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