禁断×契約×偽装×策略
車は東京の、高級住宅街と言われる場所を通り、ゆっくりとスピードを落としていった。長い塀が続き、大きく立派な門扉を通り過ぎて少し向こうにある別の、横に広い鉄門の前まで来ると、そこがゆっくりと開いていく。一度止まった車はまた動き始めた。
(ここ?)
とにかく広い、というのが印象だ。
(広尾、だったよね? ここ。そんな高級住宅街に、こんなに大きなお屋敷を構えている人なの?)
金持ちだろうという想像はしていたが、度を超えていて言葉が出てこない。そればかりか、めまいが起きそうだ。雪乃は今まで考えていたことについて、否定の気持ちが湧いてくるのを感じた。
(実康おじさんのことを、お父さんだと思っていたけど、本当に言葉通り、いとこなのかもしれない)
こんな裕福な人に母が見染められるとは思いにくい。シングルマザーの母を、いとこである実康が不憫に思って養っていた――と考えるほうがよほど自然だ。
(でも……)
飯塚は確かに実康のことを父だと言っていた。
(どういうこと?)
混乱する。
だが、もうすぐ真実がわかるのだ。雪乃は背筋をただした。
(無駄なことを考えるのはよそう)
車は玄関前まで進み、止まった。飯塚が降りてきて、後部座席の扉を開けてくれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
彼について進み、玄関を通る時に表札に視線を走らせると、『宇條』とあった。
(宇條……こんな字を書くのね)
門扉、庭、玄関、どれも立派だ。
「あの」
「はい」
「本当にここなんですか?」
「そうです」
飯塚は無表情に答えた。
「……そうですか」
「驚かれましたか?」
問い返されるとは思っていなかったので驚いた。雪乃は目を見開いたまま、無言でうなずいた。
「後ほど説明させていただきますが、宇條家は多くの不動産を持つ資産家なのですよ。東京もそうですが、関東圏に広い土地をいくつも所有しています。そこからの賃貸収入は莫大です。創業者である先々代から三代続いて経営手腕が素晴らしく、リゾート開発や大型ホテルなどのレジャー産業で大変な成功をおさめられております」
そう聞いて、雪乃は宇條グループと言われる企業を思いだした。まさかそんな大企業の創業家と関係があるなど、信じられない。
「……そうなんですか。私、なにも知らなくて」
「もちろんです。あえて教えられなかったのですから」
「…………」
愛人の娘に知らせることではないのだろう。ヘタに情報を与え、いらぬことを考えられては困るのだから。
(だったら、どうして今頃)
グルグルと疑問や猜疑心が巡るが、答えは間もなく得られるのだ。雪乃はそれらを意識の外へ追い出そうとした。
「こちらです」
玄関近くの部屋に案内される。客間ゆえか、ひときわ立派な部屋だった。毛足の長い絨毯、置かれているアンティークのテーブル、光沢のある革張りのソファ、壁に置かれた調度品、飾られている絵画、どれも素人でも高いとわかるような代物ばかりだ。
「どうぞおかけください」
「はい」
気後れしながら腰を下ろすと、エプロン姿の中年の女性がやってきて、ティーカップを置いていった。正面にも二脚、ティーカップを置く。飯塚は扉の傍に立っているので、このティーカップは彼に出されたものではないのだろう。
(まさか、奥さんと一緒に?)
そう考えると、ぶるりと体が震えた。もちろん、寒さからではない。恐怖だ。
カタリと音がして扉が開いた。
(実康おじさん――貴哉さん!)
スーツ姿の実康と貴哉が現れ、雪乃の正面に並んで座った。
「待っていた、雪乃。綾子の葬儀に行けなくてすまなかった」
「……いえ、大丈夫です。すべて手配いただいて、大変助かりました。こちらこそありがとうございました」
「うん。雪乃は、私が父親だと察しているように思うが、どうかな」
雪乃は言葉では答えず、うなずくことで同意した。
「そうか。そうだな。改めて自己紹介をするが、私は綾子のいとこではない。長い間、嘘をついて悪かった。私の名前は宇條実康、宇條グループの会長兼社長だ。正確な肩書きはCEOだが、周囲の者たちは総帥と呼ぶ。気恥ずかしいがな」
改めて言われて息をのむが、雪乃はうなずいて応えた。
「こちらの貴哉は専務だ。息子だからと役員にするのはよくないのだが、比較的早い段階で引き継ぐつもりだから、勉強させている」
雪乃は納得しかけた顔を刹那にこわばらせた。
「――むす、こ?」
「そうだ。言わなかったか?」
「言っていませんでしたね」
と、貴哉がすかさず返事をする。
「そうか。それは失念していた」
「息子って……え?」
驚きに両眼を見開き、貴哉を見つめる。当の貴哉は無表情に雪乃を見返している。
「う、そ……だって」
「どうかしたか?」
実康の問いかけに、貴哉はかぶりを振った。
「なんでもありません。それより、雪乃にこれからのことを話してあげてください」
「そうだな。雪乃、お前のことは私の娘だと認知する。それは確約するが、事情があって今すぐではない。それから戸籍についても、私としては入れたいんだが、貴哉が、もう成人しているのだから自分の戸籍を持つほうがいいのではないかと言うんだ。どうだろう」
「どう……」
そのようなこと、急に聞かれても困る。しかしながら、貴哉がじっと見つめてくるその視線に、言葉が喉に詰まってしまって出てこない。
「まぁ、こちらも今すぐどうこうしないといけないことではないから、急かすつもりはない。大事なことは、私がお前を娘だと認知することだからな。京香……私の妻の名だが、彼女には承知させているから問題ない」
「…………」
「それから、これからのことだが、今日からここに住んでもらう。今のマンションに一人で暮らすのは危険だ。この屋敷で身を守りたい。卒業後の就職先は、我が宇條グループの親会社、宇條物産の予定だ。兄妹、力を合わせてグループを守ってほしい。雪乃?」
雪乃は両手で口を覆っていた。
胃からすっぱいものが込み上げてくる。と同時に、目の前が暗くなり、グルグルと回っている。
「雪乃? どうした!?」
雪乃は前屈みになり、必死に湧き上がる嫌悪を押し込めようとした。
(兄妹? 兄妹って? 私たち、血がつながっていたの? でも、あの日……)
必死で顔を上げ、正面の貴哉を見る。慌てている実康とは対照的に、貴哉は無表情なままだ。ただじっとこちらを見返している。そのまなざしは厳しく、怖いほどだ。
(だったらどうして、あんなことを……)
あの時のことが脳裏に蘇る。恋い焦がれていたものの、けっして実ることはないとあきらめていた。その貴哉に求められ、天にも昇る心地で抱かれ、悦んだというのに。
だが、雪乃を震撼させたのは、半分血の繋がった兄と関係を持ったということだけではなかった。雪乃はこの事実を知らなかったのだから無理もない。だが、貴哉は知っていたのだ。雪乃が腹違いの妹であることを知っていて求め、抱いたのだ。
(なんて……恐ろしいことを)
震えが止まらない。実康がなにかしゃべっているが、まったく聞こえなかった。
「貴哉、雪乃を部屋に案内してあげなさい」
「わかりました」
「待ってください!」
震えはまだとまらない。だが、勝手に話を進められても困る。雪乃は力を振り絞って叫んだ。
「私はここには来ません。あのマンションに住むことができないなら、自分で探します。でも、ここには住めません!」
「それは許されない」
「なぜですか!」
「さっきも言ったが、危険だからだ」
「危険?」
「そうだ。命の危険だ」
咄嗟に実康の妻が浮かんだが、まさかそこまでするとは思えない。むしろ愛人の子を屋敷に住まわせるほうが怒りを買うだろう。
「私は宇條グループの長だ。それだけでも諸々危険だ。が、雪乃、お前はそれ以上に危うい立場にいる。我々の目の届くところにいてほしい」
「ですが――」
「京香のことは私がしっかり管理するから」
「そうじゃなくて!」
「貴哉」
名を呼ばれた貴哉はさっと立ち上がり、雪乃の横に立った。
「行こう。案内する」
「いいえ! 行きません」
「今は俺たちに協力してくれ。お前の力がどうしても必要なんだ」
貴哉に上腕を掴まれ、雪乃は顔を顰めた。それくらいの力だった。
(ここ?)
とにかく広い、というのが印象だ。
(広尾、だったよね? ここ。そんな高級住宅街に、こんなに大きなお屋敷を構えている人なの?)
金持ちだろうという想像はしていたが、度を超えていて言葉が出てこない。そればかりか、めまいが起きそうだ。雪乃は今まで考えていたことについて、否定の気持ちが湧いてくるのを感じた。
(実康おじさんのことを、お父さんだと思っていたけど、本当に言葉通り、いとこなのかもしれない)
こんな裕福な人に母が見染められるとは思いにくい。シングルマザーの母を、いとこである実康が不憫に思って養っていた――と考えるほうがよほど自然だ。
(でも……)
飯塚は確かに実康のことを父だと言っていた。
(どういうこと?)
混乱する。
だが、もうすぐ真実がわかるのだ。雪乃は背筋をただした。
(無駄なことを考えるのはよそう)
車は玄関前まで進み、止まった。飯塚が降りてきて、後部座席の扉を開けてくれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
彼について進み、玄関を通る時に表札に視線を走らせると、『宇條』とあった。
(宇條……こんな字を書くのね)
門扉、庭、玄関、どれも立派だ。
「あの」
「はい」
「本当にここなんですか?」
「そうです」
飯塚は無表情に答えた。
「……そうですか」
「驚かれましたか?」
問い返されるとは思っていなかったので驚いた。雪乃は目を見開いたまま、無言でうなずいた。
「後ほど説明させていただきますが、宇條家は多くの不動産を持つ資産家なのですよ。東京もそうですが、関東圏に広い土地をいくつも所有しています。そこからの賃貸収入は莫大です。創業者である先々代から三代続いて経営手腕が素晴らしく、リゾート開発や大型ホテルなどのレジャー産業で大変な成功をおさめられております」
そう聞いて、雪乃は宇條グループと言われる企業を思いだした。まさかそんな大企業の創業家と関係があるなど、信じられない。
「……そうなんですか。私、なにも知らなくて」
「もちろんです。あえて教えられなかったのですから」
「…………」
愛人の娘に知らせることではないのだろう。ヘタに情報を与え、いらぬことを考えられては困るのだから。
(だったら、どうして今頃)
グルグルと疑問や猜疑心が巡るが、答えは間もなく得られるのだ。雪乃はそれらを意識の外へ追い出そうとした。
「こちらです」
玄関近くの部屋に案内される。客間ゆえか、ひときわ立派な部屋だった。毛足の長い絨毯、置かれているアンティークのテーブル、光沢のある革張りのソファ、壁に置かれた調度品、飾られている絵画、どれも素人でも高いとわかるような代物ばかりだ。
「どうぞおかけください」
「はい」
気後れしながら腰を下ろすと、エプロン姿の中年の女性がやってきて、ティーカップを置いていった。正面にも二脚、ティーカップを置く。飯塚は扉の傍に立っているので、このティーカップは彼に出されたものではないのだろう。
(まさか、奥さんと一緒に?)
そう考えると、ぶるりと体が震えた。もちろん、寒さからではない。恐怖だ。
カタリと音がして扉が開いた。
(実康おじさん――貴哉さん!)
スーツ姿の実康と貴哉が現れ、雪乃の正面に並んで座った。
「待っていた、雪乃。綾子の葬儀に行けなくてすまなかった」
「……いえ、大丈夫です。すべて手配いただいて、大変助かりました。こちらこそありがとうございました」
「うん。雪乃は、私が父親だと察しているように思うが、どうかな」
雪乃は言葉では答えず、うなずくことで同意した。
「そうか。そうだな。改めて自己紹介をするが、私は綾子のいとこではない。長い間、嘘をついて悪かった。私の名前は宇條実康、宇條グループの会長兼社長だ。正確な肩書きはCEOだが、周囲の者たちは総帥と呼ぶ。気恥ずかしいがな」
改めて言われて息をのむが、雪乃はうなずいて応えた。
「こちらの貴哉は専務だ。息子だからと役員にするのはよくないのだが、比較的早い段階で引き継ぐつもりだから、勉強させている」
雪乃は納得しかけた顔を刹那にこわばらせた。
「――むす、こ?」
「そうだ。言わなかったか?」
「言っていませんでしたね」
と、貴哉がすかさず返事をする。
「そうか。それは失念していた」
「息子って……え?」
驚きに両眼を見開き、貴哉を見つめる。当の貴哉は無表情に雪乃を見返している。
「う、そ……だって」
「どうかしたか?」
実康の問いかけに、貴哉はかぶりを振った。
「なんでもありません。それより、雪乃にこれからのことを話してあげてください」
「そうだな。雪乃、お前のことは私の娘だと認知する。それは確約するが、事情があって今すぐではない。それから戸籍についても、私としては入れたいんだが、貴哉が、もう成人しているのだから自分の戸籍を持つほうがいいのではないかと言うんだ。どうだろう」
「どう……」
そのようなこと、急に聞かれても困る。しかしながら、貴哉がじっと見つめてくるその視線に、言葉が喉に詰まってしまって出てこない。
「まぁ、こちらも今すぐどうこうしないといけないことではないから、急かすつもりはない。大事なことは、私がお前を娘だと認知することだからな。京香……私の妻の名だが、彼女には承知させているから問題ない」
「…………」
「それから、これからのことだが、今日からここに住んでもらう。今のマンションに一人で暮らすのは危険だ。この屋敷で身を守りたい。卒業後の就職先は、我が宇條グループの親会社、宇條物産の予定だ。兄妹、力を合わせてグループを守ってほしい。雪乃?」
雪乃は両手で口を覆っていた。
胃からすっぱいものが込み上げてくる。と同時に、目の前が暗くなり、グルグルと回っている。
「雪乃? どうした!?」
雪乃は前屈みになり、必死に湧き上がる嫌悪を押し込めようとした。
(兄妹? 兄妹って? 私たち、血がつながっていたの? でも、あの日……)
必死で顔を上げ、正面の貴哉を見る。慌てている実康とは対照的に、貴哉は無表情なままだ。ただじっとこちらを見返している。そのまなざしは厳しく、怖いほどだ。
(だったらどうして、あんなことを……)
あの時のことが脳裏に蘇る。恋い焦がれていたものの、けっして実ることはないとあきらめていた。その貴哉に求められ、天にも昇る心地で抱かれ、悦んだというのに。
だが、雪乃を震撼させたのは、半分血の繋がった兄と関係を持ったということだけではなかった。雪乃はこの事実を知らなかったのだから無理もない。だが、貴哉は知っていたのだ。雪乃が腹違いの妹であることを知っていて求め、抱いたのだ。
(なんて……恐ろしいことを)
震えが止まらない。実康がなにかしゃべっているが、まったく聞こえなかった。
「貴哉、雪乃を部屋に案内してあげなさい」
「わかりました」
「待ってください!」
震えはまだとまらない。だが、勝手に話を進められても困る。雪乃は力を振り絞って叫んだ。
「私はここには来ません。あのマンションに住むことができないなら、自分で探します。でも、ここには住めません!」
「それは許されない」
「なぜですか!」
「さっきも言ったが、危険だからだ」
「危険?」
「そうだ。命の危険だ」
咄嗟に実康の妻が浮かんだが、まさかそこまでするとは思えない。むしろ愛人の子を屋敷に住まわせるほうが怒りを買うだろう。
「私は宇條グループの長だ。それだけでも諸々危険だ。が、雪乃、お前はそれ以上に危うい立場にいる。我々の目の届くところにいてほしい」
「ですが――」
「京香のことは私がしっかり管理するから」
「そうじゃなくて!」
「貴哉」
名を呼ばれた貴哉はさっと立ち上がり、雪乃の横に立った。
「行こう。案内する」
「いいえ! 行きません」
「今は俺たちに協力してくれ。お前の力がどうしても必要なんだ」
貴哉に上腕を掴まれ、雪乃は顔を顰めた。それくらいの力だった。