※エリート上司が溺愛する〈架空の〉妻は私です。
「紗良さん」
朝食を食べている途中だったが、出勤直前の静流に手招きされ顔を上げる。
わざわざ招き寄せるなんて一体どうしたのだろうかといくつもの疑問符が頭の上に浮かんでいく。
「ん!?」
静流の前に立った紗良はチュッと軽い口づけを二、三度されるとぎゅっと抱きしめられた。
「行ってきます。紗良さんも気をつけて」
「……はい」
静流は名残惜しそうに離れていくと出勤していった。
当たり前のようにキスをされ抱擁された紗良は他に何も言えなくなった。
行ってきますのキスひとつでこうも簡単にメロメロにされるとは。一緒に旅行に出掛けてから、キスのハードルがグッと下がった気がする。
(私って本当に単純……)
静流への想いが日を追うごとに膨らんでいるのが自分でもわかる。
今までなんとも思っていなかった指輪のことが急に気になり始めたのもその証拠だ。
(静流さんはこの先どうするつもりでいるのだろう?)
愛妻家の高遠静流の名前は、煌陽では知らないものはいない。
紗良はいつまで架空の妻として、ルームシェアを続けていけばいいのだろうか。
一度湧いてしまった疑念はそう容易く晴れるものではなかった。