空
朝まで結局眠れなかった。
とにかく病院に行こう。
面会時間にはまだ時間があったが、昨日緊急搬送されたと話して病室に入れてもらった。
正志さんはまだ意識が戻っていないようだった。
看護婦さんが声をかけてくれた。
「本日10時から検査をします。担当の先生からその結果のご説明をするのが14時くらいになります。お疲れのようですから一度お戻りになってお休みになったらいかがでしょうか。」
「はい・・・」
仕方がないので家に戻った。
何も手に付かなかった。
正志さんのいないこのマンションは寂しすぎた。
ダイニングに座ったまま少し寝たようだった。
・・・まだ12時・・・
昨日の夜から何も食べていないことに気が付いたが、食欲は無かった。
家にいても何もできなかった。
そして14時前にナースステーションに着くように家を出た。
「坂口さん、こちらにどうぞ。」
三上先生が小さな部屋に案内してくれた。
「坂口さん、旦那様ですが脳梗塞で血栓があります。それを取り除く手術と血の流れが良くなるようにステントを入れます。まだそんなに進行していませんので、手術次第ではありますが、その後リハビリをすれば社会復帰できるようになると思います。ただ手足にマヒが残る可能性があります。それがどこまで回復するかが心配です。」
「命は大丈夫ですか?」
「まず大丈夫だと思います。手術後リハビリを応援しましょう。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
私は少し安心した。
会社の村田さんに連絡をして様態を報告した。
その後、滝会計事務所に連絡を入れて直哉さんに病状を伝えようと思ったが彼は外出中だった。
電話に出られた方に説明して伝えてもらうようにお願いした。
15時頃だった。
「お姉さん、兄貴は・・・」
直哉さんが病室に飛び込んできた。
「直哉さん・・・来てくれたのね。昨日倒れて、脳梗塞だって。明日手術です。」
「それで、どうなの?」
「手術してからみたいだけど、たぶんリハビリすれば大丈夫じゃないかって先生が・・・。」
「そうか、それならまだよかった。母さんたちには伝えた?」
「まだ、結果聞いたのがさっきだったから・・・」
「わかった。僕が連絡する。」
直哉さんが実家に電話をかけに行ってくれた。
私は正志さんの手を握っていることしかできなかった。
しばらくすると、その手がピクッと動いた。
「正志さん! 」
声をかけると目を開けた。
「楓・・・ここは? 」
「病院よ。あなた倒れたの。」
「そうか・・・昨日いきなり頭が痛くなって・・・その後覚えていない。」
「脳梗塞だって、明日手術よ。でもその後はリハビリすれば大丈夫だって。」
「そうか・・・悪かったな楓・・・心配かけた・・・」
正志さんはまた寝てしまった。
あわててナースコールを押し、正志さんが一度目覚めてまた寝た事を伝えた。
手術は無事成功し、約2ヶ月の入院と言われた。入院中にもリハビリをして社会復帰に備えるという。
正志さんのお義母様から電話が入った。
「楓さん、驚いたわ。まさか正志が脳梗塞で倒れるなんて・・・。」
「お義母様、すみません。何も予兆が無かったもので・・・」
「そうなのね。でも軽いと聞いて安心しました。あの子のことだからリハビリを頑張って良くなるでしょう。行けなくてごめんなさいね。何か困ったら直哉を使ってちょうだい。あの子は優しいから何でもやってくれるはずです。」
「はい、ありがとうございます。」
直哉さんはちょくちょく見舞いに来て、ご両親に随時報告してくれていた。
「直哉さん、いつもありがとう。助かります。」
「お姉さんも体に気を付けてくださいよ。これであなたが倒れたら大変だ。」
流石兄弟、直哉さんも優しい。
そういえば最近直哉さんは私のことをお姉さんと呼ぶようになった・・・。
リハビリも順調に進んでいたが、右足と右手にマヒが残った。
正志さんは右利きだったので、右手のマヒをすごく気にしていて、はやくペンを握りたいと必死にリハビリに励んだ。
入院して一ヶ月半が過ぎたとき、三上先生から退院の許可が出た。
予定よりも少し早い退院になったと直哉さんに伝えると、退院時に手伝ってくれると言ってくれた。
家での介護の計画を病院と相談した。
介護の人を頼み、少しでも私の負担を減らすようにと正志さんは言ってくれた。
月一回の通院、それと家での介護用品を揃える準備をした。父の時よりは症状が軽いが、用意するものはさほど変わらなかった。
退院の日、直哉さんが手伝いに来てくれた。
「直哉、悪いな。」
「何言ってるんだよ。」
直哉さんは車いすを押してタクシー乗り場まで行き、正志さんをタクシーに乗せ、車椅子を畳んでトランクに積んでくれた。私は洋服などの荷物を乗せた。
「先生、ありがとうございました。」
「退院おめでとう。これからもリハビリ頑張ってください。」
病院を後にした。
梅雨の走りで雨がしとしとと降り続いていた。
家に着いた。
介護がしやすいように居間に正志さん用の介護ベッドと、至る所に手すりが備え付けられていた。
「せっかくの家が台無しだ・・・」
正志さんは嘆いた。
「仕方ないじゃない。早く良くなってこれらをなくしましょうね。」
寂しさと辛さが入り混じった顔をしている正志さんに私はできるだけ明るく言った。
「じぁあ、僕は帰るよ。兄貴無理するなよ。」
「わかった。ありがとうな。」
私は直哉さんを玄関まで送った。
「直哉さんありがとう。助かりました。」
「お姉さん、これ・・・」
直哉はメモをくれた。それには携帯の番号とメールアドレスが書かれていた。
「何かあっちゃ困るけど、なんか困ったことがあったら遠慮せずに連絡してください。」
「ありがとう直哉さん・・・」
直哉さんの気持ちが嬉しかった。