空
正志さんは日に日に回復していった。
ベッドから車椅子に移るのも一人で出来るようになった。トイレにも一人で行けるようになり、私の負担が減っていった。
週に2回、入浴介護ヘルパーを頼んでいたが、それ以外は二人で生活できるようになった。
「ありがとうな楓。お前に身体を休めろって言われていたのに、俺は自分の身体を過信していた。こんなことになって済まない。」
「軽くて良かった。お父さんと同じで脳梗塞と聞いたときはどうしようかと思った。もう無理しないでね。」
「わかったよ。早く直して旅行行こうな。この間軽井沢に行けなかったしな。」
「そう、私予約していたこと忘れていて、予約当日にホテルからあなたの携帯に連絡が入ったの。それで倒れたって話したら、キャンセル料取られずにお大事にって言ってくれた。だから良くなったらホテルにお礼をしに行かないとね。」
「さすがに老舗のホテルだね。」
「楓、来月ぐらいから会社に行きたいんだ。一度打ち合わせに連れて行ってくれるか。」
「大丈夫ですか? 仕事出来ますか? 」
「右手のマヒはまだあるけど、頭は大丈夫だから仕事は出来るだろう。社長と話したいんだ。あと、会社のトイレとかも確認したいし。」
「わかりました。会社に行ってみましょう。」
正志さんは社長に連絡を入れ、復帰に向けての打ち合わせに会社に行くことを決めた。
通勤のことも考えて、電車で行くことにした。
今はどの駅でもエレベーターが備えられていたが、電車の乗り降りの時に駅員さんの介助が必要だった。
会社のトイレには車椅子用のところが各フロアーに一つあったので、大丈夫だということがわかった。
社長と正志は長い時間相談をした。
自分で設計図を作るのはまだ出来ないだろうから、プロジェクトリーダーとして部下に指示を与える仕事をメインに行うことになった。そして、通勤の時間は、朝は遅く、夜は早い時間にして、私が付き添うことにした。
私はパートの時間を変更して毎日12時から15時までの3時間勤める。職場の方も理解を示してくれた。
ありがたいことだった。
8月の夏休み明けから正志さんは出勤するようになった。
初めのうちは慣れずに二人とも疲れたが、徐々にこの生活にも慣れていった。
正志さんは最近歩く練習をしていた。徐々に距離が伸びて来て家の中では車椅子を使うことが減っていった。
「凄い、ずいぶん回復してきているね。」
病院でも先生に褒められた。でも正志さんは右手のしびれが取れないことが気になっていた。それでも努力をすれば治ると信じていた。
足の方はずいぶん回復し、杖で歩けるようになった。会社にも一人で通えるようになり私は楽になった。さすがに満員電車は辛いので時短での勤務は変えなかった。