あれだけ飲んだのに渚は朝早く起きて朝食の準備をしていた。

「おはようございます。」

「あっ、おはようございます。まだ寝てていいのに。」

「いつもこんなに早いの?」

「そう。先生がいくら飲んでもいいけど生活のリズムは変えるなって。寝坊でもしたらきっと追い出される。」

「そう、結構厳しいのね。」

「意外とね、見た目と違うよね。」

渚は優しい口調だったが寂しそうな目をしていた。先生のことが好きなのだと感じた。

「あのね、楓さん。もしよかったらなんだけど4日くらいここに居てもらえないかな。」

「どうして?」

「今日私東京に行くの。母が入院したからお見舞いに。その間先生の面倒見てくれないかな。」

「えっ? 」

「先生一人だと仕事ばかりして何も食べなくなるの。心配で・・・」

「私が? 私でいいの?」

「楓さんなら大丈夫だと思う。先生も既婚者襲わないと思うし。ハハハ。私あとで先生に話しておくから、お願い。」

渚に変なことを頼まれてしまった。


・・・私は正志さんのところに早く行きたいのに・・・
・・・でも恩返しをしてからでも遅くない・・・


そう思って引き受けることにした。



朝昼晩と食事を作らなくてはいけない。材料はある程度あったので渚が帰ってくるまでは買い足さなくても大丈夫そうだった。

先生は朝食が終わると工房に行く。そしてお昼まで帰ってこない。その間に楓は掃除と洗濯を済ませた。お昼はお蕎麦などの簡単なものでよかった。
それが終わると夕食までは暇になったので、バスで島を巡ることにした。
先生は私に折り畳みの傘を貸してくれた。

観光地を巡り携帯で写真を撮った。どこも素敵なところばかりだったが正志さんに会えそうな場所はなかなか見つからなかった。


・・・海は少し怖いけど、空と繋がっているように見えるところがあるはず・・・
・・・そこならきっと正志さんに会える・・・


2日が経った。
夕刻、先生は出掛けてくると言って軽トラで何処かに行った。
1時間位して大きな魚を一匹ぶる下げて帰ってきた。

「あんた魚さばけるか? 」

首を横に振った。

「わかった。俺がやる。」

先生は出刃包丁を使い、慣れた手付きでさばいた。

「すごい・・・」

「食べたい一心で覚えた。」

「生わさびもらったから擦ってくれ。鮫皮のおろしがあるはずだ。」

引き出しを開けると入っていた。
私は生わさびが好きだったので、擦り方も知っていた。茎のある方から切って少し皮を剥き、鮫皮のおろしでゆっくりと円を描くように擦った。

「知ってるな。」

先生は優しい顔で私を見た。

「生わさび好きなので・・・」

「そうか。」

先生との会話は言葉数は少ないけど苦痛ではなかった。

「今日はこの魚と酒があればいい。」

「はい。」

そうは言われたが、先生が出掛けている間に作っておいた野菜の煮物と酢の物を小さな器に入れて魚と共に出した。
先生は冷酒を飲みながら食べている。

「うまい。」

「はい、お魚美味しいです。」

「いや、煮物も酢の物もうまい。」

「ありがとうございます。」

「あんたの味付けは俺の口に合う。」

嬉しかった。私の作ったものを美味しいと言ってくれたことが久しぶりに私の心を温かくした。

「これもよかったら・・・」

わさび丼を小さな器で作り、先生に渡した。

「何が入ってる?」

「ごはんにわさびとおかかとお醤油だけです。」

先生はそれをじっと見てから一口食べた。

「うまい! 」

そして一気に掻っ込んだ。

男っぽいがきちんとした箸の持ち方と、器には何も残さない綺麗な食べ方だった。そして食べている時の顔は幸せそうで、食べ物を眺める長いまつ毛が印象的だった。
< 63 / 67 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop