お前がいいんだ

お前がいいんだ


──吐く息が白い。私は感覚の無くなった両の手を擦り合わせて何とか暖を取ろうと試みる。
「何やってんだ」
「さむい」
「当たり前だろ。それにしてもなんでそんな薄着なんだよ……今日は雪が降るって天気予報も言ってたろうが」
「これでも最大限にあったかくしてきたつもりなんですけど」
「お前の最大限てのは一体どうなってんだ」
呆れながらもほら行くぞ、と背中を向けて目の前の彼はスタスタと歩き出す。私は慌ててその隣に駆け寄った。

『朝5時、集合』
たったそれだけの短いメッセージで易々と呼び出されてしまう私は大変チョロいなと思いながらも、こうして出てきてしまうワケで。
そうするくらいにはこの人に惹かれているのだと自覚している。
幼なじみというラベルに胡座をかいて居座っていられるのも、きっとあと少しだ。年が明けたら互いにそれぞれの道を歩む事になっている。

この気持ちを伝えるべきか、手放すべきか。いつも迷いながらここまで来てしまった。この距離が心地よくて、手放しがたい。
けれどもどちらにせよ、あと少しで物理的に離れてしまうのだ。だからもう少しだけ、と私は今日この日をしっかり味わおうと心に決めた。

早朝と言えまだ暗い冬の坂道を、他愛ない話をしながらゆっくりと進む。どこに行くのかは分かっているので敢えて聞いたりはしないけど、二人でここに来たのは何年ぶりだろう。
懐かしいなと記憶を辿れば、あの頃から意識した事までも思い出してしまい頬が火照る。まだ外が暗くて本当に良かった。
「息、上がってんじゃん」
「結構な坂だよ」
「運動不足」
「うるさい」
ますます白い息が上がる中、着けていたマスクを少しずらして大きく深呼吸をする。澄んだ冷たい空気が肺に入り、心做しか頭を冷やす事が出来そうな気がした。うん、大丈夫だ。大丈夫。

坂を登りきると階段が待ち構えている。目的地はすぐそこだ。
「行けるか?」
「当たり前でしょ」
「躓いて転ぶなよ」
「そっちこそ」
昔は文句を言いながら登った。こんな寒い時にわざわざ来る必要があるのかとボヤいた事を覚えている。いいから、と言われてあの時もノコノコついてきたのだ。あの日から私は何も進歩していない。

「……間に合った」
「余裕じゃん」
「前はギリギリだったろ」
「確かに」
家からさほど遠くない所にある山の公園。夜景がとても綺麗で巷ではちょっとした映えスポットとなっている。この時間でも人はそれなりにいるようで、薄暗い中に話し声や人影がチラチラと伺えた。
「あと10分くらいだな」
「丁度いいね」
「ほら、これ」
そう言って手渡されたのは温かいココア缶。いったい何処で調達していたのか。
「わー、ありがとう」
「お前の事だから何も持ってないと思った」
「へへ」
ご名答、と情けない笑みを返す。ほんと、気の利かない幼なじみでごめんね。私はいつも彼に世話を焼かれてばかりだ。でも、そんな彼の優しさに甘えていたのだと今なら分かる。それが、今の私が唯一縋る事のできる糸だったのだ。
「……あったかい」
「早く飲めよ」
「飲んだら冷めちゃう」
「飲まなくても冷めるだろ」
「確かに」
それじゃ遠慮なく、と缶を開けてそろそろと唇を近づける。自分の息より白い蒸気が顔に当たり、思わず頬がゆるんだ。

ココアを飲み終えるにつれ、空が明るくなってくる。いよいよだ。私は瞬きをするのも惜しんで、目の前の景色を焼きつけておこうと必死に海の向こうを眺めた。
「……わあ」
「おお、見えた」
周りのざわつきも忘れて、私たちは目の前の光に夢中になった。山から見下ろす海の向こう、少し雲がかかりながらもゆっくりとそれはこちらに光を放つ。
「……だいぶ今更だけど、あけましておめでとう」
「……おめでとう」
互いに言うのを忘れていた。今日は新年、一月一日。これは二人で見る『初日の出』。前に見たのもそうだった。確か3年前だったと思う。
「……前に来た時は高校受験の祈願だったよね」
「覚えてたか」
「もちろん、二人で合格するぞってね」
「ああ」
そして今回は──
「無事に希望の大学へ進めますように」
柏手を打って、そう声に出す。
彼もまた、同じように手を叩いて太陽に拝んだ。
「頑張ろうね」
「……おう」

そうして二人でしばらくの間、初日の出を眺めていたのだけれど。
「……受かったら、東京だね」
「……そだな」
「……」
ああ、余計なこと言うんじゃ無かった。急に現実に引き戻されてしまった。何となく、このまま帰るのが惜しくて話を長引かせたかっただけなのに。私はいたたまれない気持ちになり冷えきった缶をキュッと握りしめた。
「なあ」
「?」
「……寒かったら、こっちへ来いよ」
「……え?」
「え、まさか聞こえて無かった?」
「いや、そうじゃなくて」
それはどういう意味なんだろうか。期待してはいけないと頭の片隅で警告が鳴る。私は思わず笑った。
「私はそっちに行けるほど賢くないよ」
「……は?」
「え?」
どうやら会話が噛み合っていないようだ。妙な違和感に思わず隣を見る。向こうもまた、こちらを見ていた。
「だって、こっちに来いって」
「進路の話じゃねえよ」
「え?」
「……ああもう」
彼は困ったように笑って──私の肩を引き寄せた。慣れない香りが鼻をくすぐる。夜の森の匂いがした。
「こっちの方があったかいだろ」
「え、あ……うん」
「……わざと?」
「え?」
「はぐらかしてる?」
怪訝な声の質問に、私は首を左右にブンブンと振った。何がどうなっているのか分からない。声を出そうにも、心臓がバクバクとうるさくて今にも口から飛び出してきそうだ。
「なら、いいけど」
気付けばいつの間にか彼の腕の中にすっぽり収まっていて、後ろからがっちりホールドされてしまった。私は自分の手をここからどうすればいいのか分からず、ただロボットのように棒立ちになっている。

「あー、離れたくねえ」
「それは一体どういう意味、かな」
「……」
これは聞いたらダメなやつだったのか、いや聞かねば分からないだろう。幼なじみっていうのは平気でこういう事をして良いものなのか、私にはサッパリ分からない。誰か経験者がいたら聞かせて欲しいくらいだ。しかし当然、周りにそれらしき人がいる訳もなく。
「……おまえがいいんだ」
「うん?」
「分からねえの?」
「ごめん、意味が良く……」
「好き」
「!」
ああやっぱり、と思う気持ちと嘘だありえない、という気持ちが交互に浮かんでは消える。きっとこの心臓の音もバレているんだろうなあと項垂れていると、後ろからいつもより弱々しい声が聞こえた。
「幼なじみだからとかそんなんじゃなくて、ひとりの女の子として、いいなと思ってた」
「……えっと」
「だからこのまま離れるのは惜しいなって」
「……うん」
「どう?」
どう、とは。こっちが聞きたい話だよとボヤきたい気持ちを抑えて、私は自分の気持ちを素直に伝えることにした。
「私も、その……そうなんで」
「そう、とは」
うん、意地悪ですね。
「す、好きだから」
「ん」
ぎゅう、と回された腕の力が強くなるのが分かった。肩口に顔を埋められている。これは相当人目を気にしなければならない状況ではないだろうか。初日の出もすっかり上り、空はだんだん明るさを取り戻してくる。
「……だから、頑張ろう」
ちょっと自分でも何を言っているのか分からない。けれどもこの時の私はそう答えるのが精一杯だった。
背中越しに笑うのが分かる。ああ、これはロマンチックとは無縁の現実だと記憶を消したい衝動に駆られるも、この日二人で見た初日の出は今でもずっと忘れられない思い出になっている。
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