大江戸ガーディアンズ
〜其の弐〜
その日、与太は渋る父親・甚八からどうにか半日休みをもぎ取って、朝からの仕事を終えると吉原にやってきた。
吉原は高い塀で周囲を囲まれているだけでなく、お歯黒どぶによっても囲まれている。
その名のとおり、お歯黒どぶにはいつも真っ黒な汚水がどんよりと揺蕩っていた。
また、その溝の幅が五間(約九メートル)もあるのは、遊女や女郎たちが吉原の外へ逃げ出さないようにするためだ。
与太は猪牙舟に乗って大川(隅田川)から山谷堀に入り、見返り柳の岸辺で舟を降りると、お歯黒どぶが流れる跳ね橋を渡って大門へと足を踏み入れた。
四方に巡らされた塀が、唯一途切れた処で、吉原でたった一つの出入り口だった。
朱色に彩られた二本の柱に黒い屋根を乗せた鏑木門の大門を潜る。
右手には遊女や女郎たちを見張る四郎兵衛会所、左手には御公儀に仕える同心や岡っ引きが詰める面番所があった。
其処からまっすぐ伸びる大通りを仲之町と云う。
まず、一番初めの辻の右手が江戸町一丁目、左手に伏見町と江戸町二丁目がある。
中でも二階家で大名御殿のごとき店構えが「大見世」だ。
いわゆる「呼出(花魁)」はこの大見世にしかおらず、しかもたったの数人である。
次に、二番目の辻の右手が揚屋町、左手が角町である。
二階家だが少し格の落ちる「中見世」であるがゆえ、この見世では「呼出」を置くことが認められていない。
ゆえに、その下の「昼三」が最上位である。
そして、三番目の辻の右手が京町一丁目、左手が京町二丁目で、一番格下の「小見世」や「切見世」が犇くように軒を連ねている。
「大見世」や「中見世」でなにかやらかして売っ払われてしまった者、年季が開けたにもかかわらず負い目が残っている者、御公儀の御赦し以外で春を鬻いだために揚代(料金)の取れぬ「奴女郎」に罰せられた者……
堕ちる処まで堕ちた——まさに、この世のどん底であった。