大江戸ガーディアンズ
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奉行所(おかみ)の「御用向き」はとっくの昔に済んだ。

父親の甚八からは、用が済んだら吉原なんぞからは(はよ)う帰ってくるよう、きつう云われている。

されど、与太は吉原(ここ)を出る気にはなれなかった。

まるで、気の抜けた風船のごとくふらふらと界隈を歩いていた。


すると、この前のように雨がぽつり、とやってきた。

空を見上げると、今日も薄鼠の雲が辺り一面を覆っている。

この前みたいに、みるみる間に降ってこられちゃ(たま)らない。

与太は弾かれたかのように、手っ取り早く雨宿りできる(ところ)を探して駆け出した。


しばらく行くと、角っこに御堂らしきものを見つけた。

御堂と云っても(ほこら)に毛が生えたくらいの小さなものだ。


ほぼ真四角に造られた吉原の敷地内には、各四方の(すみ)に「榎本稲荷」「明石稲荷」「開運稲荷」「九郎助稲荷社」の御堂があった。

そのすべてが狐を「神の使い」とするお稲荷さんであるのは、(ちまた)で豪商たちが「商売の神様」と崇めていて、それを吉原の(くるわ)(あるじ)たちもあやかったためだと云われていた。

もしくは、見世にやってくる客人たちが「女狐」のごとき遊女や女郎たちに化かされて、いつの間にか根こそぎ有り金を落としていた、ということを夢見て願掛けしているのもしれぬ。


与太が飛び込むように入っていったのは、その中でも久喜萬字屋のある江戸町二丁目の筋から大門側に一本入った伏見町の角に祀られた明石稲荷だった。

されども、其処(そこ)にはすでに「先客」がいた。

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