大江戸ガーディアンズ

南北の奉行所は月替わりで御役目を担っているが、今月の当番は北町奉行所だ。

与太は南町奉行所の方の「手先」であったが、詰めている岡っ引き・下っ引き連中に挨拶するために面番所に顔を出した。

与太が属する町火消し「は組」の縄張りに店を構える志ほ(しお)せ饅頭を手土産として差し出すと、茶などを振舞われて一頻(ひとしき)り世間話をする。

どうやら「北町」の方も先般からの「髪切り」に関しては手詰まりのようだ。

面番所を辞したあとは、慣れた足取りで目当ての地——江戸町二丁目へと向かった。


昼間の吉原は、明るすぎるお天道様の光によって、実は古びて安普請な建物が立ち並ぶ町であることがよく(わか)る。

それでも、その中ではしっかりと「商い」が()されていた。
昼日中の揚代(料金)はかなりお得になる。


江戸町二丁目に着いた与太は、名だたる大見世が建ち並ぶ表の大通りからすぐに裏手に回った。

表通りを歩いていると、「火消しの鳶」の生業(なりわい)で身についた与太の鯔背(いなせ)な立ち居姿から、
「もし、男前の(あに)さん、揚代(おあし)はいらんから上がっていきんす」
と、(まがき)(格子)の向こうにいる女郎たちが(かしま)しいことこの上ないからだ。


裏手では、吉原の(くるわ)といえども昼間の「暮らし」は世間と大差なかった。

突き抜けるほどの青空の下、物干しには色とりどりの女郎たちの腰巻きが掛けられ、時折吹く風にたなびいている。
戸口には女郎たちが食す漬物の(かめ)がいくつも置かれていた。

そして、女郎たちがしくじった末に産んだ子たちなのであろうか、大声をあげて鬼ごっこをして走り回っている。

(ちまた)では「苦界(くがい)」と呼ばれる吉原だが、昼間の裏手ではどこにでもある暮らしが営まれていた。

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