大江戸ガーディアンズ
「大儀であろうが、其方らの此度の御役目が恙なく果たされんことを、衷心より祈念しておるぞ」
近江守がさように告げて、改めて各々に酒を取らせる。
「本来であらば、励ましも兼ねて其方らを我が屋敷に呼び、心ゆくまで労うつもりでおったのだが……」
いささか口惜しそうな面持ちになった。
「——我が屋敷は、少々『喧しい』ものでな」
青山緑町の浅野屋敷に居を構える近江守には、奥方との間にすでに二人の御子がいた。
いずれも女子である。
ところが、今から一、二年ほど前、奥方が三人目の御子を懐妊した。
奥方の齢から最後の機会になるやもしれず、それでもしまた女子とならば、家老の面々からはいよいよ側室を促す声が出かねない。
ゆえに、何が何でも男子誕生を、と奥方は屋敷を挙げて連日連夜、加持祈祷に励んだ。
されども——
待ち望んだ御子はこの世に御目見えすることなく、儚くなってしまった。
奥方とともに嫡男誕生を夢見ていたであろう近江守も、さぞかし無念であったことと思いきや——
『そもそも「次」は先代の御子に譲る定めだ。
我が血の繋がる男子なぞ、我が身は元より望んではおらぬ』
と、きっぱり云い放った。
実は、先代の広島新田藩・二代藩主は近江守の従兄であったため、とうの昔に遺言により四代藩主は「忘れ形見」の嫡男と決まっていたのだ。
そもそも近江守は藩主になる定めではなく、二代藩主の早世により其の座が転がり込んできただけの「繋ぎ」であった。
三代藩主となった今でも、周囲がなんと騒ごうと藩主の座は先代から預かっているに過ぎず、いずれ先代の遺児が立派に成長した暁には「返上すべきもの」と心得ていた。
だが、奥方の考えはまた違ったようだ。
我が子を次代にすることで、我が身の盤石を謀ろうとしたと思われる。
諸藩の大名家の血筋からの輿入れで、御家同士の結びつきでしかない縁組だった。
夫婦仲は三人目の子のことがなくとも、すでにこの上もなく冷え切っていた。
奥方は今度は亡き子を弔うと云う由にて、引き続き加持祈祷に心を奪われている。
子を儚くしたのも、神仏への信心が足りなかったゆえであると思い込んでいるようだ。
そのため、今の青山緑町の浅野屋敷はますます昼夜問わず線香の煙が燻り、僧侶たちの読経の声が轟きわたっていた。