大江戸ガーディアンズ

大儀(たいぎ)であろうが、其方(そち)らの此度(こたび)の御役目が(つつが)なく果たされんことを、衷心より祈念しておるぞ」

近江守がさように告げて、改めて各々に酒を取らせる。

「本来であらば、励ましも兼ねて其方らを我が屋敷に呼び、心ゆくまで(ねぎら)うつもりでおったのだが……」

いささか口惜しそうな面持(おもも)ちになった。

「——我が屋敷は、少々『(かまびす)しい』ものでな」


青山緑町の浅野屋敷に居を構える近江守には、奥方との間にすでに二人の御子がいた。
いずれも女子(おなご)である。

ところが、今から一、二年ほど前、奥方が三人目の御子を懐妊した。

奥方の(よわい)から最後の機会になるやもしれず、それでもしまた女子とならば、家老の面々からはいよいよ側室を促す声が出かねない。

ゆえに、何が何でも男子(おのこ)誕生を、と奥方は屋敷を挙げて連日連夜、加持祈祷に励んだ。

されども——

待ち望んだ御子はこの世に御目見えすることなく、(はかな)くなってしまった。


奥方とともに嫡男誕生を夢見ていたであろう近江守も、さぞかし無念であったことと思いきや——

『そもそも「次」は先代の御子に譲る定めだ。
我が血の繋がる男子なぞ、我が身は元より望んではおらぬ』

と、きっぱり云い放った。


実は、先代の広島新田藩・二代藩主は近江守の従兄(いとこ)であったため、とうの昔に遺言により四代藩主は「忘れ形見」の嫡男と決まっていたのだ。

そもそも近江守は藩主になる定めではなく、二代藩主の早世により其の座が転がり込んできただけの「繋ぎ」であった。

三代藩主となった今でも、周囲がなんと騒ごうと藩主の座は先代から預かっているに過ぎず、いずれ先代の遺児が立派に成長した暁には「返上すべきもの」と心得ていた。


だが、奥方の考えはまた違ったようだ。

我が子を次代にすることで、我が身の盤石を(はか)ろうとしたと思われる。

諸藩の大名家の血筋からの輿入れで、御家(おいえ)同士の結びつきでしかない縁組だった。

夫婦仲は三人目の子のことがなくとも、すでにこの上もなく冷え切っていた。

奥方は今度は亡き子を弔うと云う(よし)にて、引き続き加持祈祷に心を奪われている。

子を儚くしたのも、神仏への信心が足りなかったゆえであると思い込んでいるようだ。

そのため、今の青山緑町の浅野屋敷はますます昼夜問わず線香の煙が(くすぶ)り、僧侶たちの読経の声が轟きわたっていた。

< 170 / 316 >

この作品をシェア

pagetop