大江戸ガーディアンズ

前世でどんな行いをした因果であろうか、祖母の代から「遊女」になる定めの(もと)に、美鶴は生まれついた。

祖母が何処(どこ)で生まれて何処から吉原に売られてきたのかは、今となっては(よう)として知れないが、母は(くるわ)で生を受けた。

(てて)親は祖母の馴染みの客であろう、お武家の男だったと聞く。

そして、長じた母が美鶴と云う娘をもうけた相手もまた、お武家の男だった。

そればかりか、産後の肥立ち()しく、瞬く間に産み落としたばかりの娘を遺してさっさと身罷(みまか)ってしまったのも、同じだ。

二人とも、類稀(たぐいまれ)なる器量と芸を併せ持ち、この吉原で何十年に一度咲くかどうかの大輪の徒花(あだばな)であった。


遊女や女郎が見世に出るときの名を「源氏名」というが、平安の昔にものされた「源氏物語」の全五十四帖からなる巻名にあやかって名付けられたのが元である。

だが、数千もの(おんな)たちがいると云われる吉原でたった五十四しかないその名は、いつの間にかおいそれとは名付けられなくなり、見世ごとに遊女や女郎の名が案内(あない)されている「吉原細見」をあたってみても、今では見世の上位の遊女にしか(ゆる)されていない。

祖母も母も「胡蝶」と名乗った。
もちろん、源氏物語の五十四帖の中の一つである。

久喜萬字屋では、見世の最上位である「呼出」にならなければ名乗ることは赦されない名だ。


いつの日か、面影を刻みつける間もなくあの世へと旅立った祖母(ばば)さまやおっ()さんの、その「胡蝶」の名で見世に出るのが、美鶴の幼き頃よりの「夢」であった。

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