大江戸ガーディアンズ
兵馬はその頃、安芸国 広島新田藩の次期藩主・浅野 粂之助として、今の三代藩主・浅野 近江守に連れられ、引手茶屋で「遊んで」いた。
久喜萬字屋のような大籬にいる遊女を「娼方」にするには、まず「引手茶屋」なるものへ「必ず寄らねばならぬ」のだ。
引手茶屋は、吉原の大門を潜って入ったすぐの大通り沿いにある仲之町にずらりと並んでいて、其処で料理茶屋から取り寄せた膳に舌鼓を打ちながら、芸者や幇間たちが繰り出す歌舞音曲を愉しむのだ。
そして、間に入って勘定を取り持つ役も担っていて、特に廓にとっては引手茶屋を通すと客人の支払いを先に立て替えてくれるから重宝している。
初めて引手茶屋を訪れたとき、
『此処でしかと腹拵えしておけよ。久喜萬字屋ではなにも喰えぬからな』
と近江守は兵馬に教えた。
廓で食すのは「野暮の骨頂」ゆえ、と云うのは表向きで、実のところは見世で働く妓たちへ食べさせるためである。
夜見世の前に握り飯と汁物くらいしか与えられておらぬ妓の楽しみは、見世が引けたあとの「御座敷の膳の残り物」なのだ。
ひとしきり愉しんだあとは、いよいよ久喜萬字屋へと向かうのだが——
必ず「迎え」がやって来る。
「主さん、おいでなんし」
襖の向こうから、舞ひつるの声が聞こえてきた。
実に、およそ半月ぶりであった。
これから、二人で廓へと向かうのだ。