大江戸ガーディアンズ
とは云うものの、与太は決して「要らない子」ではない。
むしろ、その逆だ。
与太の母・おふさの胎にはなかなか子が宿らず、ようやく宿ったかと思えばその後二回も儚く流れた。
さような中で、ようやっと生まれてきてくれたのが与太なのだ。
しかも、代々続く「火消しの鳶」の跡目も期待できる男子だ。
そして結局、弟妹は生まれなかった。
女子と較べて身体の弱い男子は、五歳の祝いを迎えるまでは気が抜けない。
いつ極楽浄土の仏様・阿弥陀仏に見込まれて連れて行かれるか知れやしないからだ。
ゆえに、生まれた子には、
「この子は『与太者』でござんす。たとえあの世に連れて行ったとしても、何の役にも立ちゃあしやせんよ」
と云う親の「願い」を込めて「与太」と名付けられた。
むろん、与太はおのれの名の由来を知っている。
かようなまでに大事に思われているからこその名であることも、重々承知している。
生まれてきた子が無事に大人になるまで育つことが、決して容易くなかったこの時代、与太のような「願掛け」の名は間々見られた。
例えば、幼子が使う雪隠を「おまる」と云うが、かわいい我が子に敢えて穢れを付けて「〜丸」と名付けることなどだ。
さすれども——
やはり、与太にはおのれの名を好ましくは思うことはできなかった。