大江戸ガーディアンズ
「……一人前になったら、おいらは祖父ちゃんの名をもらいてぇ」
そもそも「〜太」は跡取り息子に付ける「幼名」だ。
ゆえに、歳を重ねるにつれて改名するのは至極真っ当で、また「成長の証」でもある。
与太にとっては、いつの日か「辰吉」の名を継ぐのが、その証だ。
父の甚八は端から継ぐ気はないのだから、それなら与太がその名をもらう。
実は「改名」はさほど珍しいことではない。
人によっては、凶事があった際に「厄落とし」や「験担ぎ」のために変えたりもする。
江戸の町家では、町名主によって六年おきに「宗門人別改帳」が作り直されていて、その折に暮らしている町の名主に申せばよかった。
人足寄場帰りの入墨持ちやよっぽどの流れ者でもない限り「新しい名」に書き換えてくれる。
与太は生まれも育ちも朱引内、江戸の伝馬町だ。
町名主は産湯に浸かった時分から与太を知っている。
何の差し障りもない。
「与太さもいずれ、名を変えちまうんだいねぇ……」
おすては遠い目をして云った。
きっとその頃には、おすては先んじて別の名——女郎の源氏名になっていることだろう。
どんな名になって見世に出ているのか。
そして、今はすぐに戻ってしまう故郷の方言も、すっかり抜けてしまっているかもしれぬ。
すると、そのとき……