大江戸ガーディアンズ
彦左郎——彦左は、吉原の遊女「昼三」だった母親から生まれた。
ゆえに父親は、娼方だった大名家の血を引く上客であったと聞く。
廓では、女郎から遊女になったあとにも順序があった。
「部屋持ち」は一部屋のみを赦された遊女で、客をもてなすのも床入りするのも同じ部屋だ。
それが「座敷持ち」になると、床入りの部屋とは別に客をもてなすための「座敷」が赦されるようになる。
そこからだんだんと部屋が豪奢になっていき、やがて二番手まで上がると「昼三」だ。
「昼の揚代が三分」から由来するそれが、彦左の母親の位であった。
ちなみに、廓の頂点を極めるのは「呼出」だ。
呼出は大見世にしか赦されておらぬ遊女の位で、吉原広しといえども全部で数名しかいない。
現に、今の久喜萬字屋に呼出はいない。
だからこそ、二番手ながらも最上位である昼三の羽衣と玉菊が、我こそはと呼出を目指して切磋琢磨し競い合っているのだ。
彦左の美しさは、かつて久喜萬字屋で昼三だった母親譲りである。
もし女子で生まれたのであらば、母のような遊女を目指して子どもの頃から歌舞音曲はもちろん和漢書までもみっちりと学ばされるはずであった。
だが、男として生まれた彦左はその類い稀なる美しさが仇となり、男が男を相手とする「衆道」にて春を鬻ぐ陰間茶屋に売られそうになった。
ただ、陰間で男色を売る「陰子」には「声変わり前」と云う不文律がある。
戦国武将も「小姓」として愛でたのは元服前の少年だ。
すると、もともと女のごとき面立ちの割にひょろりと背の高かった彦左は、十歳の声を聞くとみるみるうちに声変わりしていった。
すんでの処で、どうにか免れることができた。
今の彦左は遊女顔負けの妖艶な貌とは裏腹に、すっかり低くて渋い声になったゆえ、ひとたび口を開くと大抵の者はびっくりおったまげてしまうようになった。