大江戸ガーディアンズ
御公儀に赦されている与太の御役目は「町火消し」だ。
「火事と喧嘩は江戸の華」と云われるとおり、材木と和紙で造られた家屋敷が立ち並ぶ江戸の町では、ひとたび火が出ればたちまちのうちに次から次へと燃え広がってしまう。
その昔、明暦の大火ではなんと江戸の町の半分が焼き尽くされたと聞く。
その火の手は千代田のお城の本丸にまで及び、天守閣がすっかり焼け落ちてしまったほどの凄まじさであったそうな。
そこで、八代の公方様(徳川吉宗)によるお改め(享保の改革)の折に、御公儀は町家の男衆を選りすぐって「町火消し」の役目を与えることとした。
つまり、町家の者たちの手で、自らの住む町を護らせるようにしたのだ。
そして、大川(隅田川)から酉の方を「一番組」から「十番組」に分けて「いろは四十八組」を置き、 卯の方を「北組」「中組」「南組」に分けて「深川本所十六組」を置いた。
ちなみに、いろは四十八組では忌み語を避けて「へ組」「ひ組」「ら組」「ん組」が「百組」「千組」「万組」「本組」と置き換えられた。
与太が生まれ育った伝馬町は、そのうちの「一番組」に属する「は組」で、おのれもまた其処に入っていた。
とは云うものの、火事など滅多矢鱈に起こるものではないし、また起こってもらっては困る。
江戸でつつがなく暮らしたいのであらば、なにを置いても「火の用心」が幟旗だ。
いくつもの蔵を並べる大店はもちろんのこと、宵越しの金など持たぬ長屋住まいの独り者ですら、火においてはそれはそれは心配りをしている。