大江戸ガーディアンズ

兵馬と美鶴の縁組は「(うわ)(かた)」によって、突如として定められたものであった。

武家同士の縁組は「御家(おいえ)と御家との結びつき」である。
町家の者のごとく「好いた腫れた」で一緒になれるものではない。

とは云え、兵馬のような南北の奉行所に仕える町方役人の御家は、縁付く相手もまた同じく町方役人であるのが相場だ。

事実、父方も母方も代々続く筆頭与力の家柄であった。


にもかかわらず妻女となる美鶴は、松浪家のある南町の組屋敷でも、兵馬の母の生家(さと)がある北町の組屋敷の出自でもなかった。

そもそも御公儀(幕府)に仕える旗本でも御家人ですらない——諸藩に仕える「藩士の子女」だったのだ。

さような身の上の美鶴にとっては、大恩ある藩からは放り出され、有無も云わさず「町方役人の妻」になるよう命じられたも同然の縁組であった。

さすれども、美鶴は早々と「生家」である江戸詰めの下屋敷を出た。

そして、両家の間を取り持つことに相成(あいな)った奉行所から云われるがままに、北町の同心の家に仮住まいしつつ、指南役を仰せつかった刀自(とじ)より「町方役人の妻」としての心得を伝授され、日々励んだ。

特に、沁み込んだ国許(くにもと)の訛りを改めるのには骨が折れた。

だが、それも努力の甲斐あって、松波家に嫁するまでにはすっかり改められた。


この間、おいそれと出向くことが(はば)かれた兵馬は、とうとう祝言を挙げるまで美鶴の顔を見ずじまいだった。

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