大江戸ガーディアンズ
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島村 広次郎は、元の名を「上條(かみじょう) 広次郎」と云う。

代々、「内与力」の御役目を賜る上條家にて上條 広之進(ひろのしん)の子として生を受けた。

筆頭与力とは云うものの、奉行所の配下にあって市井(しせい)を駆けずり回る「町方役人」の松波家と違って、内与力の上條家は御奉行が側仕(そばづか)えとして直々にお召しになった側用人(そばようにん)であるため「家臣」の扱いだ。

されども——広次郎は、上條家の「次男」であった。


武家として生まれたからには、御家(おいえ)を受け継ぐのは長男だ。

次男以下は他家へ養子として出ない限り、実家にいたままでは生涯縁組もされず「部屋住み」という肩身の狭い身で過ごさざるを得ない。
俗に云う、居候の「冷や飯喰い」である。


だが、広次郎には幼き頃より「養子」として請われていた家があった。

其れが「島村家」だった。

かつて、広次郎と同じ身の上であった父の弟——叔父の勘解由(かげゆ)が、子のいなかった島村家に養子に入り親類縁者の娘と縁組していた。

にもかかわらず、叔父の代でもまた跡継ぎに恵まれなかったゆえ、今度は甥の広次郎を嗣子(しし)として迎えたいと望んだのだ。

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