大江戸ガーディアンズ

だが、島村家の身分は与力ではなく「同心」であった。

「同心」は、与力の配下で手足となって働くのが御役目である。

特に市井に関わる「町方同心」に就いた(あかつき)には、町家で厄介ごとが起こった際には、真っ先に現場に駆けつけ御役目を果たさねばならぬ。

さらに、それらを無事に果たすためには、常日頃より岡っ引きや下っ引きなどの「手下」を自腹で雇って町家の情報を集めておかなければならぬ。

岡っ引きなぞになるヤツらは(すね)に傷を持つ身であることが多いゆえ、腹を探り合いながら付き合わねばならぬため、骨が折れた。

つまり、与力がせぬ「汚れ仕事」を同心が一手に担っているのだ。
生家の「御奉行様の側仕(そばづか)え」と云う内与力のような「綺麗(きれぇ)」な御役目とは雲泥の差である。

また、禄米が少ないのはもちろん、組屋敷も三百坪を超える与力の家に対して、同心の家は百坪あれば御の字だ。
そのうえ、与力が認められている江戸府内での馬への騎乗は同心には許されていない。


そして一番異なるのは、同心は御公儀(幕府)が直轄する町奉行所の役人なのに……

——「士分」ではないのだ。


同心は武家である「士分」と「町人」の間に属する身分ゆえ、如何(いか)に手柄を立てようとも、同心が与力に取り立てられることは決してなかった。

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