大江戸ガーディアンズ

千賀は、南町奉行所の例繰(れいくり)方与力である進藤(しんどう) 又十蔵(またじゅうぞう)の娘として生まれた。

「例繰方」とは、御奉行の御白州(おしらす)での御裁きを書き留め、それに基づいて「御仕置裁許帳(おしおきさいきょちょう)」という判例集を作るという御役目である。

武家といえども机上の御役目であるがゆえ、(ちまた)で何事が起こっても押っ取り刀で駆けつけることはない「綺麗(きれえ)」な仕事だ。

代々かような御家では、同じ奉行所の勤めであっても、町家でのいざこざの末に生じた(とが)人や死人などに関わる仕事をする与力を「不浄役人」と陰で呼んで蔑んでいた。

それは御公儀(幕府)も同様で、たとえ二百石以上の禄を与えていたとしても、さような「穢れ」を扱う者を公方(くぼう)(将軍)様に御目見(おめみえ)(謁見)できる「旗本」にはさせない。

ゆえに、直参でありながら千代田のお城(江戸城)にすら登れない「御家人」扱いであった。


ところが、父の妹である叔母・富士(ふじ)が嫁いだ先がその「不浄役人」の松波家であった。

富士自身も、まさか我が身がさような家に嫁することになろうとは、つゆほども思うておらなかったそうだ。

されど、生家と婚家を「血縁」でつなぐのが武家に生まれし娘の「御役目」であるがゆえ、泣く泣く嫁入った。


その後、嫡男として生まれた多聞は、順当に「当番方与力」から御用で捕縛された者たちを取り調べる「吟味(ぎんみ)方与力」になり、それから同心を束ねる「同心支配役与力」と呼ばれる「筆頭与力」に任ぜられ、先ごろ南町奉行所の総元締めである「年番方与力」に就いた。

町奉行所では出世街道まっしぐらだとだれもが思うたが、富士のみならず従妹(いとこ)である千賀にとっても不浄役人の道まっしぐらにしか見えなかった。

さらに、その多聞に嫁いできたのが、松波家と同じく代々年番方与力を担う御家で、しかも当時は犬猿の仲の「北町奉行所」に属していた佐久間(さくま)家の娘・志鶴であった。


()()とも嫡男の嫁には千賀を迎えたかった富士にとっては、さぞかし無念であったことだろう。

かろうじて、多聞の姉の寿々乃(すずの)が御奉行の側用人(そばようにん)である「内与力」の水島(みずしま) 織部(おりべ)の御家に縁付いたのが、せめてもの心の拠り処ではなかったかと千賀は思うている。


そして、肝心の我が身は無事、代々赦帳撰要方(しゃちょうせんようがた)与力の御役目を賜る本田家におさまることができた。

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