大江戸ガーディアンズ
ゆえに、さような和佐のことは主税にとっては長い間「弟」としか見られずにいた。
さすれども、かような和佐であっても「年頃」ともなれば、縁組の話が来るようになった。
いくら組屋敷じゅうの者たちから「松波の跳ねっ返り」だの「松波の次男」だの「松波の女剣士」だのと呼ばれていたとは云え、和佐は父親が筆頭与力に任ぜられて勢い盛んな南町奉行所きっての出世頭であるうえに、「北町小町」と呼ばれた見目の母親と瓜二つに育っていた。
父親・政五郎から「南北の奉行所問わず、松波の許には釣書が次々と舞い込むようになってござるぞ」と聞かされた主税は、そこで初めて、はた、と気づいた。
——このままでは……
恥ずかしそうにはにかんで目を伏せた、あの顔を見られのうなるやもしれぬ……