隣の家の渡邊君はイケメン俳優やってます。
一月一日
元旦は睡眠を貪るためにある。
これほど幸せな時間はない。
年末、仕事おさめして、グダグダながらも大掃除して、寒い中買い出しして、正月飾りも一つくらいは飾って、引きこもり準備万端、あとは大晦日にダラダラとテレビ見て、明け方にベットに入って惰眠を貪る。仕事始めはまだ先。さいこー。
と、思って布団にもぐっている私の耳に、さっきから玄関の呼び鈴の音がうるさい。
何よ、正月から宅配?頼んだ覚えないよ。いたずら? 猫でも迷いこんだ? あーもー出たくない!
そう思いながらもずっと鳴らされる呼び鈴に負けてベッドから起き上がると、二階の自室からノロノロ出て、踏み外しそうになりながら階段を下りて、玄関をあけた。
玄関が遠い元日の朝よ……。起こしたヤツ許さん。
扉を開けると明るい日差しと冷たい空気が入ってきた。それと……。
「あけましておめでとう、咲歩ちゃん」
そこに日差しに負けないくらいの明るい笑顔をまとった長身の男が立っていた。
「……おめでとう、じゃあね」
そう言って玄関の扉を閉めようとすると、ソイツ、渡邊董也が手で押さえた。
「ちょっと待って待って、咲歩ちゃん」
「何よ」
「何よ、じゃなくてさ。半年ぶりなのに冷たくない?」
「あー、だっけ?」でも別に用ないしな。「何か用? 元旦から急ぎ?」
「その機嫌の悪さ寝起きだね」
あーうるさ、小姑かよ。
「そうよ、わかったらおやすみ」
そう言って扉を閉めようとしたのに、また阻止される。
「おやすみ、くない。もう昼の一時だよ?」
「え、うそ⁈」
「本当」
董也《とうや》は玄関の中まで入って私に自分の腕時計を見せた。
本当だ、さすがに寝過ぎかな、でも、別に予定ないしさ。
「予定ないし、さあ……」
「母さんがお雑煮食べに来ないかって」
「え? 本当? いいの?」
「当たり前でしょ」
「夜行くつもりだったもん。おいちゃんは?」
「父さんはお屠蘇で出来上がってコタツで寝てる」
「あー」
「早く来ないと餅グダグダだよ。あ、二個でよかったよね、母さんにそう言ったけど」
なんであんたが決めるのよ、と思ったが、いちいち言うのも面倒くさい。
「わかった、すぐ行くから……」
「待ってる」
そう言って董也はにっこり笑った。
いいけどさあ、迎えに来てくれたんだし? しょうがないなあ……。
「じゃ、上がってそこら辺に座って待っててよ。すぐ支度するから」
お邪魔します、と董也は迷いもせず入ってくる。私はそんな彼をほっといて洗面所に向かう。
歯を磨きながら鏡をみる。ボサボサのボブの髪、ヨレヨレのスウェット。浮腫んだ顔。二十代後半の女子の旨みはどこにもない。なくていいけど、我ながらひどいものだ。
まだどこかぼうっとした頭で自室に戻って着替えて、申し訳程度に化粧して階下に降りると、彼はリビングダイニングのテレビの前に立っていた。
一瞬、視線が止まってしまう。相変わらず綺麗な輪郭線をした男だ。頭蓋骨小さいし。でも、半年前よりなんとなく痩せた気がするな。
「おまたせ、ごめんね」
言いながらキッチンの冷蔵庫を開けて、包装された包みを取り出した。これを忘れちゃまずい。
テレビでは初詣の様子を写している。綺麗に着物をきた若い女の子が……。
「あ」
「どうしたの、咲歩ちゃん」
私は自分の格好を見た。ジーンズにパーカー。正月から人の家に伺うのにこれはない。
「ごめん、着替える。ないわ、寝ぼけてた」
「いいよ、それで全然。僕だってこんなだよ」
董也は白いハイネックのセーターにジーンズ、ベージュのコートという確かにありふれた格好だった。けれど断言するけど、絶対私の服とお値段が違うから。何より着てる人間の差が激しい。彼が着ると例えファストファッションだとしてもノーブルに見える。
でも、母さん待ってるから、の言葉に着替えは諦めて家を出て、隣の家、董也の実家、渡邊さんちに向かった。
「いつ帰って来たの?」
「今朝。早朝にマンション出た。昨日まで仕事あってさ」
「正月は仕事ないの?」
「うん、今回はちゃんと正月休み貰った」
そう、楽しそうに董也は話す。彼と私は同い年の幼なじみのお隣さんだが、彼は大学途中から一人暮らしを始めた。俳優を本格的に始めた頃からだ。
今では『最近注目の実力派イケメン俳優』ってくくりでテレビでもちょこちょこ見かける、らしい。
「正月に仕事ないって大丈夫なの?」
大丈夫だよ、って笑って董也は言った。笑うと丹精な顔がくしゃっと崩れる。彼は雰囲気は柔らかくて優しい感じなんだけど、顔は甘すぎないというか真面目な感じが滲み出ていて、それが笑うとくしゃって崩れるのが女性ファンの心をくすぐる、らしい。知らんけど。
渡邊家に入るとそのまま台所に直行した。
「育子さん、あけましておめでとうございます」
董也の母親である彼女はコンロの前に立ったまま、「おめでとう」と言った。
ちょっと小太りの育子さんはいつものエプロンをつけてニコニコしている。背も普通くらいだしぱっと見、董也に似ていない。でも優しい目元が実はそっくりだと思う。
「あ、これ新年のご挨拶に。今年もよろしくお願い申し上げまする」
私は持ってきた包みをうやうやしく差し出した。
「これはこれはご丁寧に。心配めさるな、貴公の好きな蒟蒻もネギも購入してあるからして」
「これはかたじけない。魚心あれば水心でございますな」
「二人とも何言ってるの」
横から董也が口を挟んだ。
「あんたが早く大河ドラマにでも出ないかって話よ」
「うわ、きついなあ、母さん」
笑い声が満ちる。即されるまま、台所のテーブルに座るとお雑煮がでてきて、ありがたくいただく。あったかくてお出汁が美味しい。
渡邊家の台所はいつもと同じように料理好きな育子さんが使いやすいようにいろいろな物が出しっぱなしでごちゃごちゃしていたが、いつも通りきちんと掃除されていて居心地がいい。テーブルクロスも赤いチェックの新品にかえられている。
襖のむこうのリビングでは、董也の父親がコタツで横になっていた。その向こうのテレビがつけっぱなしで賑やかな正月番組がやっていた。
「咲歩ちゃん飲む?」
董也が一升瓶を抱えて座った。
飲む、と言う前にお猪口が用意される。
「かんつける?」
「いい。このままで」
董也が注いでくれる。辛口の日本酒。うまーい。
「これもどう? おせちもあるわよ?」
そう言って育子さんがおせちとナマコの酢の物を出してくれた。食べたらおいしくて涙出そうだった。この家には神様が住んでるよ。
「めちゃくちゃお酒にあうわ。おいちゃん、そりゃ飲んじゃうよ」
「数の子もいい感じだよ」
そう言って董也がおせちをつまんでいる。
「あ、ごめん。董也についでなかった」
一升瓶を取ろうとして董也が遮った。
「僕はいいよ。それより食べたら近くの神社行かない?」
「え、どうして?」
「どうしてって正月だもん、初詣」
「行かない」
「なんで」
「寒いもん」
「えー、あったかい格好すれば大丈夫だよ。りんご飴たべたくない? おみくじひこうよ」
絶対いやだわ、と思う。董也と行くと絶対誰かに気づかれるもの。地元の人だからまだいいけど、やっぱり億劫だ。
「おみくじならSiri が答えてくれるよ。小吉だった」
そうなの? と言って彼はスマホで試しだした。その時違う方向から董也の声がした。
テレビに董也がアップで写ってチョコレートを食べている。商品名を言う彼の声はいつもよりなんだか艶っぽいというか……。声も人気なんだっけ、この人。
「ねえ、このチョコおいしいの?」
「美味しいよ。CMの撮影で結構食べたけど最後まで美味しかった。僕のおすすめはホワイトチョコかな、白いパッケージのやつ」
「ふーん」
「スーパーで普通に売ってるでしょ? 試してみて」
「うーん」そうなんだけどさ。「甘いチョコ苦手だしなあ」
「相変わらずだなあ、咲歩ちゃんは。かっこいいよね」
言い返そうとしたら育子さんの声で遮られた。
「咲歩ちゃん、お肉こんなにいいの? 高かったでしょう」
「いいよ、しょっちゅうタダで食べさせて貰っているんだから、こんな時くらい贈らせてよ」
高校から家で一人暮らしの私を気遣ってくれるのと、あと多分ここ数年は董也がいない事もあって、しょっちゅう渡邊家でご飯を食べている。でもお礼とか受け取ってくれたことがないのだ。
「でも、大丈夫なの? お金ある?」
「育子さん、私だって社会人やってるんだよ、大丈夫、信用して」
「信用はしてるわよ。ありがとう。すき焼きいっぱい食べて行くのよ」
はーい、と答える。持ってきて、おいしく食べさせてもらえるのだから実際、私的には得しかない。
「咲歩ちゃんは仕事どうなの?」
董也がお酒を二人分つぎながら聞いてきた。
「あれ、飲むの?」
「出かけないなら、さ」
「おみくじなんだった?」
「大吉」
この、勝ち組男め。
「仕事は普通。淡々と日々やっております」
「でも、秋口からこっち少し元気なかったけど、良くなった?」
育子さんが聞いてくれる。
「あの頃繁忙期だったからね」本当はそれだけじゃないけど。「でも、もう大丈夫」
「なんかあった?」
董也が口を挟む。
「別に。忙しかっただけ」
「あれはどうなったの?」
「何? 育子さん」
「お嫁行く話」
「消えた、行かない」
「あら残念。楽しみにしてたのに」
と、いきなり董也が勢いよく立ち上がった。
「ちょっと、何? 嫁って誰の?」
「だから行かないよ」
「待てよ、誰が何? なんで?」
「だから、終わった話なの。聞いてる? 酔ってるの?」
「酔ってないよ。だって、僕じゃないよね?」
「何言ってるの」
「僕の嫁の話だよ! 僕のプロポーズは無視されたままなんだけど⁈」
「そっちも終わってるでしょ」
「終わってないよ、始まってもいないよ。結婚自体したくないって。なのになんで別の男? はあ?」
知るか。
「みっともないわよ、董也」
育子さんがたしなめる。
「そうだ、そうだ」
「なっ、それって……。うわー、咲歩ちゃん鬼かよ」
知るかっての。誰が今をトキメクイケメン俳優なんかと結婚するかってのよ。
これほど幸せな時間はない。
年末、仕事おさめして、グダグダながらも大掃除して、寒い中買い出しして、正月飾りも一つくらいは飾って、引きこもり準備万端、あとは大晦日にダラダラとテレビ見て、明け方にベットに入って惰眠を貪る。仕事始めはまだ先。さいこー。
と、思って布団にもぐっている私の耳に、さっきから玄関の呼び鈴の音がうるさい。
何よ、正月から宅配?頼んだ覚えないよ。いたずら? 猫でも迷いこんだ? あーもー出たくない!
そう思いながらもずっと鳴らされる呼び鈴に負けてベッドから起き上がると、二階の自室からノロノロ出て、踏み外しそうになりながら階段を下りて、玄関をあけた。
玄関が遠い元日の朝よ……。起こしたヤツ許さん。
扉を開けると明るい日差しと冷たい空気が入ってきた。それと……。
「あけましておめでとう、咲歩ちゃん」
そこに日差しに負けないくらいの明るい笑顔をまとった長身の男が立っていた。
「……おめでとう、じゃあね」
そう言って玄関の扉を閉めようとすると、ソイツ、渡邊董也が手で押さえた。
「ちょっと待って待って、咲歩ちゃん」
「何よ」
「何よ、じゃなくてさ。半年ぶりなのに冷たくない?」
「あー、だっけ?」でも別に用ないしな。「何か用? 元旦から急ぎ?」
「その機嫌の悪さ寝起きだね」
あーうるさ、小姑かよ。
「そうよ、わかったらおやすみ」
そう言って扉を閉めようとしたのに、また阻止される。
「おやすみ、くない。もう昼の一時だよ?」
「え、うそ⁈」
「本当」
董也《とうや》は玄関の中まで入って私に自分の腕時計を見せた。
本当だ、さすがに寝過ぎかな、でも、別に予定ないしさ。
「予定ないし、さあ……」
「母さんがお雑煮食べに来ないかって」
「え? 本当? いいの?」
「当たり前でしょ」
「夜行くつもりだったもん。おいちゃんは?」
「父さんはお屠蘇で出来上がってコタツで寝てる」
「あー」
「早く来ないと餅グダグダだよ。あ、二個でよかったよね、母さんにそう言ったけど」
なんであんたが決めるのよ、と思ったが、いちいち言うのも面倒くさい。
「わかった、すぐ行くから……」
「待ってる」
そう言って董也はにっこり笑った。
いいけどさあ、迎えに来てくれたんだし? しょうがないなあ……。
「じゃ、上がってそこら辺に座って待っててよ。すぐ支度するから」
お邪魔します、と董也は迷いもせず入ってくる。私はそんな彼をほっといて洗面所に向かう。
歯を磨きながら鏡をみる。ボサボサのボブの髪、ヨレヨレのスウェット。浮腫んだ顔。二十代後半の女子の旨みはどこにもない。なくていいけど、我ながらひどいものだ。
まだどこかぼうっとした頭で自室に戻って着替えて、申し訳程度に化粧して階下に降りると、彼はリビングダイニングのテレビの前に立っていた。
一瞬、視線が止まってしまう。相変わらず綺麗な輪郭線をした男だ。頭蓋骨小さいし。でも、半年前よりなんとなく痩せた気がするな。
「おまたせ、ごめんね」
言いながらキッチンの冷蔵庫を開けて、包装された包みを取り出した。これを忘れちゃまずい。
テレビでは初詣の様子を写している。綺麗に着物をきた若い女の子が……。
「あ」
「どうしたの、咲歩ちゃん」
私は自分の格好を見た。ジーンズにパーカー。正月から人の家に伺うのにこれはない。
「ごめん、着替える。ないわ、寝ぼけてた」
「いいよ、それで全然。僕だってこんなだよ」
董也は白いハイネックのセーターにジーンズ、ベージュのコートという確かにありふれた格好だった。けれど断言するけど、絶対私の服とお値段が違うから。何より着てる人間の差が激しい。彼が着ると例えファストファッションだとしてもノーブルに見える。
でも、母さん待ってるから、の言葉に着替えは諦めて家を出て、隣の家、董也の実家、渡邊さんちに向かった。
「いつ帰って来たの?」
「今朝。早朝にマンション出た。昨日まで仕事あってさ」
「正月は仕事ないの?」
「うん、今回はちゃんと正月休み貰った」
そう、楽しそうに董也は話す。彼と私は同い年の幼なじみのお隣さんだが、彼は大学途中から一人暮らしを始めた。俳優を本格的に始めた頃からだ。
今では『最近注目の実力派イケメン俳優』ってくくりでテレビでもちょこちょこ見かける、らしい。
「正月に仕事ないって大丈夫なの?」
大丈夫だよ、って笑って董也は言った。笑うと丹精な顔がくしゃっと崩れる。彼は雰囲気は柔らかくて優しい感じなんだけど、顔は甘すぎないというか真面目な感じが滲み出ていて、それが笑うとくしゃって崩れるのが女性ファンの心をくすぐる、らしい。知らんけど。
渡邊家に入るとそのまま台所に直行した。
「育子さん、あけましておめでとうございます」
董也の母親である彼女はコンロの前に立ったまま、「おめでとう」と言った。
ちょっと小太りの育子さんはいつものエプロンをつけてニコニコしている。背も普通くらいだしぱっと見、董也に似ていない。でも優しい目元が実はそっくりだと思う。
「あ、これ新年のご挨拶に。今年もよろしくお願い申し上げまする」
私は持ってきた包みをうやうやしく差し出した。
「これはこれはご丁寧に。心配めさるな、貴公の好きな蒟蒻もネギも購入してあるからして」
「これはかたじけない。魚心あれば水心でございますな」
「二人とも何言ってるの」
横から董也が口を挟んだ。
「あんたが早く大河ドラマにでも出ないかって話よ」
「うわ、きついなあ、母さん」
笑い声が満ちる。即されるまま、台所のテーブルに座るとお雑煮がでてきて、ありがたくいただく。あったかくてお出汁が美味しい。
渡邊家の台所はいつもと同じように料理好きな育子さんが使いやすいようにいろいろな物が出しっぱなしでごちゃごちゃしていたが、いつも通りきちんと掃除されていて居心地がいい。テーブルクロスも赤いチェックの新品にかえられている。
襖のむこうのリビングでは、董也の父親がコタツで横になっていた。その向こうのテレビがつけっぱなしで賑やかな正月番組がやっていた。
「咲歩ちゃん飲む?」
董也が一升瓶を抱えて座った。
飲む、と言う前にお猪口が用意される。
「かんつける?」
「いい。このままで」
董也が注いでくれる。辛口の日本酒。うまーい。
「これもどう? おせちもあるわよ?」
そう言って育子さんがおせちとナマコの酢の物を出してくれた。食べたらおいしくて涙出そうだった。この家には神様が住んでるよ。
「めちゃくちゃお酒にあうわ。おいちゃん、そりゃ飲んじゃうよ」
「数の子もいい感じだよ」
そう言って董也がおせちをつまんでいる。
「あ、ごめん。董也についでなかった」
一升瓶を取ろうとして董也が遮った。
「僕はいいよ。それより食べたら近くの神社行かない?」
「え、どうして?」
「どうしてって正月だもん、初詣」
「行かない」
「なんで」
「寒いもん」
「えー、あったかい格好すれば大丈夫だよ。りんご飴たべたくない? おみくじひこうよ」
絶対いやだわ、と思う。董也と行くと絶対誰かに気づかれるもの。地元の人だからまだいいけど、やっぱり億劫だ。
「おみくじならSiri が答えてくれるよ。小吉だった」
そうなの? と言って彼はスマホで試しだした。その時違う方向から董也の声がした。
テレビに董也がアップで写ってチョコレートを食べている。商品名を言う彼の声はいつもよりなんだか艶っぽいというか……。声も人気なんだっけ、この人。
「ねえ、このチョコおいしいの?」
「美味しいよ。CMの撮影で結構食べたけど最後まで美味しかった。僕のおすすめはホワイトチョコかな、白いパッケージのやつ」
「ふーん」
「スーパーで普通に売ってるでしょ? 試してみて」
「うーん」そうなんだけどさ。「甘いチョコ苦手だしなあ」
「相変わらずだなあ、咲歩ちゃんは。かっこいいよね」
言い返そうとしたら育子さんの声で遮られた。
「咲歩ちゃん、お肉こんなにいいの? 高かったでしょう」
「いいよ、しょっちゅうタダで食べさせて貰っているんだから、こんな時くらい贈らせてよ」
高校から家で一人暮らしの私を気遣ってくれるのと、あと多分ここ数年は董也がいない事もあって、しょっちゅう渡邊家でご飯を食べている。でもお礼とか受け取ってくれたことがないのだ。
「でも、大丈夫なの? お金ある?」
「育子さん、私だって社会人やってるんだよ、大丈夫、信用して」
「信用はしてるわよ。ありがとう。すき焼きいっぱい食べて行くのよ」
はーい、と答える。持ってきて、おいしく食べさせてもらえるのだから実際、私的には得しかない。
「咲歩ちゃんは仕事どうなの?」
董也がお酒を二人分つぎながら聞いてきた。
「あれ、飲むの?」
「出かけないなら、さ」
「おみくじなんだった?」
「大吉」
この、勝ち組男め。
「仕事は普通。淡々と日々やっております」
「でも、秋口からこっち少し元気なかったけど、良くなった?」
育子さんが聞いてくれる。
「あの頃繁忙期だったからね」本当はそれだけじゃないけど。「でも、もう大丈夫」
「なんかあった?」
董也が口を挟む。
「別に。忙しかっただけ」
「あれはどうなったの?」
「何? 育子さん」
「お嫁行く話」
「消えた、行かない」
「あら残念。楽しみにしてたのに」
と、いきなり董也が勢いよく立ち上がった。
「ちょっと、何? 嫁って誰の?」
「だから行かないよ」
「待てよ、誰が何? なんで?」
「だから、終わった話なの。聞いてる? 酔ってるの?」
「酔ってないよ。だって、僕じゃないよね?」
「何言ってるの」
「僕の嫁の話だよ! 僕のプロポーズは無視されたままなんだけど⁈」
「そっちも終わってるでしょ」
「終わってないよ、始まってもいないよ。結婚自体したくないって。なのになんで別の男? はあ?」
知るか。
「みっともないわよ、董也」
育子さんがたしなめる。
「そうだ、そうだ」
「なっ、それって……。うわー、咲歩ちゃん鬼かよ」
知るかっての。誰が今をトキメクイケメン俳優なんかと結婚するかってのよ。
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