また、君と笑顔で会える日まで。
望月穂波side

 駅ビルを出て家に向かって歩く。


 紗希はずっと無言だ。さっきの出来事を気にしているのかもしれない。


 こういうときなんて声を掛けたらいいのかわからない。


 親に教えてもらったこともない。ただ、漠然と思う。元気を出して欲しいと。

「ねぇ、紗希。ちょっとそこの公園寄ってかない?」

 あたしが近くの公園を指さすと、紗希は小さく頷いた。


 広々とした公園に足を踏み入れて、ベンチに腰掛ける。


 ベンチはLED照明に照らされて夜だと言うのに明るい。


 いくつかある他のベンチには恋人同士と思われる男女がすわり楽しそうに言葉を交わしていた。


 ベンチをすわってから数分間、あたし達はたがいに口を開こうとしなかった。


 静かな時間が流れていく。

「穂波ちゃん」

 最初に口を開いたのは意外にも紗希だった。


 私の名前を呼んだあと、紗希は強ばった表情のままポツリポツリと言葉を紡いだ。

「さっきの……全部本当のことなの。私ね、中学時代……イジメられてたの。クラスの子達から無視されて、部活動でも仲間はずれにされた。あの頃の私はいつもひとりぼっちだった」

 紗希の声が震える。途切れ途切れの言葉に胸が苦しくなる。

「中2の夏、夏祭りに誘われて行ったらバカみたいに笑われて……。でも、私本当にバカなの。あんなにイジメられてて。突然イジメが無くなるわけないのにね。それなのに期待して浴衣まで着ていって。あの日ね、心はぽっきり折れちゃった。それで──」
「いいよ、紗希。無理しないで」

 あたしはスカートの上で震えている紗希の手をぎゅっと握りしめた。

「死のうと思ったの。苦しくて、辛くて、もう耐えきれなくて。弱かった私は全部捨てて逃げようとした。でも、結局失敗して……」

 ボロボロと堰を切ったように涙を流す紗希は必死に涙を拭う。

「救急車の中で意識が戻った時、お母さんは『良かった。生きててよかった』って泣き叫んでた。でもね、私は死ねなかったことに絶望して泣いたの。私はそういう自分勝手な必死に人間なの」
「うん」
「あの時、私は自分のことしか考えてなかった。家で首を吊って死ねばどうなるか、今考えればすぐ分かるのに。それをキッカケに学校にも行けなくなって親にもたくさんの迷惑をかけちゃった……」

 紗希は後悔しているんだろう。


 自殺を図り自ら死を選ん事で親を傷付けてしまったことを。あたしは紗希の手を握る指に力を込めた。

「逆にさ、それほど追い込まれてたってことでしょ。周りのことを気にする余裕がなくなるくらい当時の紗希は辛い思いしてたんだよ。辛くて、悲しくて、どうしようもなくなったから逃げようとした。それを紗希のお父さんもお母さんも責めたりはしないよ。迷惑とかそんなこと思ったりしない」

 紗希のお母さんを人目見た瞬間に感じた。


 娘への愛情の深さを。そして、他人のあたしに対する態度も。うちの母とは大違い。まるで正反対。

「あたしが紗希のお母さんだったら、自分の娘が死のうとしたことにショックを受けるより、自殺しようと思うほど追い込まれてた娘さんの気持ちに気づいてあげられなかつた自分を責める気持ちの方が大きいと思うよ」
「うん……」
「でもさ、それも全部過去のことだよ。イジメられてそれを苦に自殺を図ったことは過去の出来事。今、紗希は生きててあたしとベンチに座って過去のことを振り返ってる。過去のことをこうかいしない人、なんてきっといないよ。だから、大丈夫だよ。紗希はちゃんと前に進んでる」

 誰にだってしられたくない過去の1つや2つある。あたしにだってある。


 しかも、それは過去の出来事ではなく現在進行形で続いている。


 左側の肋骨付近がいまだにジンジンと痛むのを無視してあたしは紗希に微笑んだ。

「てかさ。悪いのは紗希じゃなくていじめっ子じゃん。イジメられる人間が弱いとか言うやついるけど、絶対に違う。イジメてる奴らが弱いんだよ。さっきだって見たでしょ?あたしに言い返すこともできずに顔真っ赤にして最後にはしっぽ巻いて逃げてったし。学校っていう小さな世界だけでいばりちらす哀れな人間なの。あんな奴らのために傷つく必要なんてない」
「っ……」
「紗希の人生は紗希だけのものだよ」

 私はふるえる紗希の体をぎゅっと抱きしめた。


 中2の頃の紗希にもこうしてあげたかった。生きていていんだよっていってあげたかった。

「あたしはイジメられたことがないから、紗希の苦しみも痛みも100%全てを分かってあげることはできなに。うまい言葉で励ましたりとかこうしたらいいんじゃない?みたいなアドバイスも得意じゃないよ。なんて声をかけたらいいのか分からない。だけどさ、こうやって一緒に居ることはできるよ」

 紗希の体からそっと腕をほどき、ワイシャツの袖で紗希の涙をゴシゴシと拭う。

「穂波ちゃん……」
「そばにいて話を聞くことはできるよ。なんか辛かったら電話してくれたら飛んでくし、愚痴りたくなったらLINEちょうだいよ。あたし、何時まででも付き合うよ。あたしができることなら何でもするよ」
「それなら……」
「うん」
「私も穂波ちゃんのそういう存在になりたい」
「え?」

 首を傾げると、紗希は手のこうで涙を拭った。


 目の縁をまっかに染めて、鼻をすすりながらぐちゃぐちゃの顔をあたしに向ける。


 ひっくとしゃくりあげながらも紗希はあたしを真っ直ぐ見つめた。

「ずっと思ってた。だれかに必要とされたいって。誰かの特別になりたいって。穂波ちゃんは私にとって特別な人なの。だから、私も穂波ちゃんの特別になりたい。必要とされたい」
「紗希……」
「私……この世界に生きていていいんだって……今、思えたの。穂波ちゃんのおかげで。穂波ちゃんがそう思わせてくれた」
「えっ、うそ。マジで?あたし、すごくない?」
「ふふっ……何それ」

 紗希がふわりと笑う。やっぱり紗希は笑っていた方が可愛い。

「ていうかさ、あたしにとって紗希はずっと前から特別な存在だよ。あたし、マジで嬉しかったの。消しゴム貸して貰えて。『良かったらこれ使ってください』っていうその一言にあたしは救われた」
「私じゃなくても誰だって困っている人がいたら手を差し伸べるよ」
「うーん……でもさ、なかなかできないんだよ。だって見て見ぬふりした方が簡単だから。人間、面倒くさいことには目を背けたくなる」

 そっと空を見上げると満点の星が輝いていた。

「紗希みたいに優しい人がこの世界にあふれたら、きっとみんな幸せだろうね」

 視線は上に向けたまま、さっきからずっと震えているポケットの中のスマホを手のひらで抑える。


 電話の相手なんて画面を見ないでもわかる。あぁ、いやだ。


 紗希といる時ぐらいそっとして置いて欲しい。


 バイブ音が紗希に届かないように必死になってスマホをおさえつける。


 今だけは目の前のキラキラとひかる世界にひたって居られるように。

「綺麗だね。明日は晴れるな!」
「うん」

 そろって空を見上げながらあたしは願った。


 紗希が幸せになりますように。そして、その幸せを貰ってあたしもちょっぴり幸せな気持ちになれますように。


 多くは望まないよ。望んだってきっと叶わない。ちっちゃな幸せでいい。

「穂波ちゃんと友達になれて、私……幸せだよ」

 隣で紗希が微笑む。

「あたしも幸せ!」

 あたしも釣られて微笑み返す。ポケットの中のスマホは未だに震え続けていた。



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