期末テストで一番になれなかったら死ぬ
「おまえなあ、もうちょいバレないようにせえよ」
とんとん、と指が机を叩く音。青木先生の苛立ちが私の耳に届く。
昼休みの職員室には雑多な音が飛びかっている。指の音は、だから多分私にしか届いていない。
「先生」
と小さく手を挙げる。
「バレなければいいんですか?」
「そりゃそうだ。おまえは学費払ってるお客さまだからな。学校や授業をどう利用しようが俺の知ったこっちゃない」
「じゃあ何で怒られてるんですかね、私」
「他の生徒の迷惑になってたからだよ」
「ああ、なるほど」
「生徒にはな、授業を余さず享受する権利があるわけだ。それを邪魔する要素を取り除くのは教師の仕事だし、そりゃ怒りもする」
確かに、近くの人たちの集中を妨げたかもしれないし、さっきの騒動で授業は中断した。
「なるほど。ごめんなさい」
頭を下げる。
「次からはバレないよう気をつけます」
言いながら、机上に置かれた愛するスマホに手を伸ばす……が、青木先生はすすっとスマホを遠ざけた。
「怒ってるだけじゃねえぞ。悲しいんだ、俺は」
青木先生はそう言ってわざとらしくため息をついた。
「奥さんに逃げられたんですか?」
「違うわ! んなことそうそうあってたまるか!」
「や、案外よくあることですよ?」
何か言おうとした先生が、『お』の口のまま動きを止めた。そして一度目と口を閉じてから、ゆっくり「あのな」と声を出した。
「おまえはもっとやれるはずだろう」
「……」
よりによって一番めんどくさい方向に、話は転がろうとしている。
「新入生代表で、最初の中間テストもトップ。やればできるってのに、それがどうして補習の常連になっちまうんだ」
やれないからできないんです。そんな軽口をぐっと飲みこむ。
「確かにな、勉強するもしないもおまえの勝手だ。俺ら教師は『勉強しろ』って言うこたあできるが、生徒に従う義務なんてねえからな」
先生が腕を組み、その口調はゆっくり落ち着いたものになっていく。
私の心に危険信号が灯る。これは間違いなく長時間お説教モードだ。
「でもな、人生長いつっても勉強ばっかしてていいなんてのは学生のうちだけだ。この先勉強したことが役立つ保証はないがな、損になるこたあない」
「……どうなんでしょう」
私の言葉に、先生が「ん」と反応する。
「報われない努力に意味ってあるんですかね」
しまった。つい反論してしまった。
これはお説教が長引くパターンだ。黙ってうなだれて右から左へと聞き流しているのがベストなのに。数多くの被お説教経験を誇る私がいうのだから間違いない。
「……鶴崎。意味があるか俺には分からん。おまえにとって意味があるか、決められるのはおまえだけだ」
青木先生は大人だ。私が口ごたえしても、怒らずちゃんと議論してくれる。
それを迷惑だと思うのは、きっと私の方に問題があるからだ。
「俺は俺の経験でしか語れないから、俺の尺度で『損になるこたあない』と言ってるがな、」
と、先生の声に被さるように校内放送が流れてきた。
『青木先生、青木先生。事務室に元奥様がいらしています。滞っている慰謝料の支払いについてお話があるとのことです。繰り返します。青木先生、青木先生。事務室に……』
職員室中の視線が集まってくる。
青木先生は、誰にともなく「おい!」と叫びながら立ち上がった。
「女房と別れたことなんてねえぞ!」
そして先生は、ばたばたとサンダルを鳴らしながら廊下に飛び出していった。
さりげなく辺りを見回す。
職員室内、先生たちの視線は、青木先生につられ出入口の方に向けられている。
目立たぬよう、手だけをひょいと伸ばしてスマホを回収し、スカートのポケットに滑りこませる。
そして急がずゆっくり机の間を歩き……小さな声で「失礼しまーす」と会釈しながらドアを開け、私は無事に職員室からの脱出を果たした。
とんとん、と指が机を叩く音。青木先生の苛立ちが私の耳に届く。
昼休みの職員室には雑多な音が飛びかっている。指の音は、だから多分私にしか届いていない。
「先生」
と小さく手を挙げる。
「バレなければいいんですか?」
「そりゃそうだ。おまえは学費払ってるお客さまだからな。学校や授業をどう利用しようが俺の知ったこっちゃない」
「じゃあ何で怒られてるんですかね、私」
「他の生徒の迷惑になってたからだよ」
「ああ、なるほど」
「生徒にはな、授業を余さず享受する権利があるわけだ。それを邪魔する要素を取り除くのは教師の仕事だし、そりゃ怒りもする」
確かに、近くの人たちの集中を妨げたかもしれないし、さっきの騒動で授業は中断した。
「なるほど。ごめんなさい」
頭を下げる。
「次からはバレないよう気をつけます」
言いながら、机上に置かれた愛するスマホに手を伸ばす……が、青木先生はすすっとスマホを遠ざけた。
「怒ってるだけじゃねえぞ。悲しいんだ、俺は」
青木先生はそう言ってわざとらしくため息をついた。
「奥さんに逃げられたんですか?」
「違うわ! んなことそうそうあってたまるか!」
「や、案外よくあることですよ?」
何か言おうとした先生が、『お』の口のまま動きを止めた。そして一度目と口を閉じてから、ゆっくり「あのな」と声を出した。
「おまえはもっとやれるはずだろう」
「……」
よりによって一番めんどくさい方向に、話は転がろうとしている。
「新入生代表で、最初の中間テストもトップ。やればできるってのに、それがどうして補習の常連になっちまうんだ」
やれないからできないんです。そんな軽口をぐっと飲みこむ。
「確かにな、勉強するもしないもおまえの勝手だ。俺ら教師は『勉強しろ』って言うこたあできるが、生徒に従う義務なんてねえからな」
先生が腕を組み、その口調はゆっくり落ち着いたものになっていく。
私の心に危険信号が灯る。これは間違いなく長時間お説教モードだ。
「でもな、人生長いつっても勉強ばっかしてていいなんてのは学生のうちだけだ。この先勉強したことが役立つ保証はないがな、損になるこたあない」
「……どうなんでしょう」
私の言葉に、先生が「ん」と反応する。
「報われない努力に意味ってあるんですかね」
しまった。つい反論してしまった。
これはお説教が長引くパターンだ。黙ってうなだれて右から左へと聞き流しているのがベストなのに。数多くの被お説教経験を誇る私がいうのだから間違いない。
「……鶴崎。意味があるか俺には分からん。おまえにとって意味があるか、決められるのはおまえだけだ」
青木先生は大人だ。私が口ごたえしても、怒らずちゃんと議論してくれる。
それを迷惑だと思うのは、きっと私の方に問題があるからだ。
「俺は俺の経験でしか語れないから、俺の尺度で『損になるこたあない』と言ってるがな、」
と、先生の声に被さるように校内放送が流れてきた。
『青木先生、青木先生。事務室に元奥様がいらしています。滞っている慰謝料の支払いについてお話があるとのことです。繰り返します。青木先生、青木先生。事務室に……』
職員室中の視線が集まってくる。
青木先生は、誰にともなく「おい!」と叫びながら立ち上がった。
「女房と別れたことなんてねえぞ!」
そして先生は、ばたばたとサンダルを鳴らしながら廊下に飛び出していった。
さりげなく辺りを見回す。
職員室内、先生たちの視線は、青木先生につられ出入口の方に向けられている。
目立たぬよう、手だけをひょいと伸ばしてスマホを回収し、スカートのポケットに滑りこませる。
そして急がずゆっくり机の間を歩き……小さな声で「失礼しまーす」と会釈しながらドアを開け、私は無事に職員室からの脱出を果たした。