期末テストで一番になれなかったら死ぬ
「……失礼しまーす」

 なるべく静かに引き戸を開ける。

 保健室に来る生徒が元気いっぱいじゃおかしいし、中で寝ている子がいるかもしれないからだ。

 しかし私の声に返事はなかった。机の前にも、二つあるうち手前の方のベッドにも、人の姿はない。奥のベッドにはカーテンがかかっているが、まさか養護の先生がベッドで寝ているということもないだろう。

 少し拍子抜けだ。道中、熱のある振りを練習してきたのに。

 まあ、結果オーライ。先生がいないなら騙す必要もない。無駄に罪を重ねなくて済む。

 と、ほっと一息ついたそのとき。

「……先生ですか?」

 部屋の奥から声がした。

 男子の声だ。歌うように柔らかで、少し高めだけれど、女子のそれとは違う深い響きのある声だった。

 淡いクリーム色のカーテンが開く。

 現れたのは細面の顔だった。目は切れ長で唇は薄く、怜悧な印象を与えはするが、同時にあたたかみも感じさせる顔だった。

「ん、君は」

 男子生徒が首を傾げる。

「えっと、私、一組の鶴崎で……」

 しどろもどろになりながら応える。

「もしかして体調不良なのか? だったらこちらのベッドが開いている」

 そう言って彼は、手前側のベッドを指さした。

「そうか。君も体が弱かったのか」

 そして何故か満足げに何度もうなずいた。

 彼は何か早合点というか勘違いをしているようだった。その内容は皆目見当もつかない。何しろ彼のクラスも名前も知らないのだから。

「……私、別に体調不良で来たわけじゃないの」

 勘違いならそのまま利用すればいい。頭ではそう分かっていても、なかなか実行はできない。

「ちょっと休みたくなっちゃって」

 何かが申し訳なくて、私はつい彼の勘違いを訂正してしまった。

 何が、なのかは自分でも分からないけれど。

「……つまりは、サボりなのか?」

 男子生徒の表情が固まり、声音も低くなる。

「えへへ」

 と小さく笑って見せるが、やはりというか何というか、それは思いきり逆効果で、彼は更に顔を歪めた。

「もういい」

 吐き捨てるように言い放ち、彼は保健室の出口に向かって歩きだした。

「待って!」

 思わず彼の腕をつかむ。

 半袖のカッターシャツから覗くその腕は細く、握りしめると骨の形がよく分かった。しかし、うっすらとのった筋肉は固く、女の腕につくそれとはまるで違うものだった。

「何か?」

 彼は振り解くこともなく、ただ私を睨みつけた。

 その視線に込められた感情に圧され、手を離す。

「体調、悪いんじゃないの?」

「君には関係ないだろう」

 そうして彼は視線を背け、保健室を出ていった。

「……何なの」

 嘆息し、それから廊下を覗き見る。

 既に彼の姿は見えなくなっていた。今更追うのは難しそうだ。

 仕方なくドアを閉める。

「あ」

 そうだ。彼が誰か、分かるかもしれない。

 保健室を利用する際には、利用管理簿にクラスと名前、時間と症状を書くことになっている。

 事務机の横に掛けられた利用管理簿を手に取り、最新の記録を見ると……。

 そこには見覚えのある名前が記載されていた。

 『二年二組 鹿島怜央』。

 それは、一学期中間テストの順位表、その一番右に書かれている名前に間違いなかった。



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