期末テストで一番になれなかったら死ぬ
「お前だけだぞ」

 青木先生は腕を組み、私を真っ直ぐに見据えて言った。

「学年でお前だけだ」

 しかも、もう一回言った。

 そんな何回も言わなくても分かってますよ……とはとても言えない。そんなことを口走ってしまったが最後、お説教が無限に長引くのは目に見えている。

「……」

 だから私は黙って待った。

 進路指導室のソファは柔らかい。表面のレザーはつるつるしていて、私はその触り心地が気に入っている。だからといってこの部屋が好きになるかといえば、それは全くの別問題だけど。

 特にだ。午前中に終業式を終え、さあ夏休みだ! というタイミングで来たい場所ではない。全くない。

 職員室の隣、グラウンドに面した進路指導室には、部活に励む生徒たちの元気な声が飛び込んでくる。嫌味か。明日から夏休みだというのによくやる。マゾか。

 そんな活動的な声を打ち消すように、青木先生は低く重い声で続けた。

「赤点で追試ってんなら他にもいたけどな、追試まで受からんってのはどういうこった?」

 私も気になってます。いや、本当に。

 正直赤点は予想通りだった。しかしまさか追試でもだめだとは……。勉強しなくても追試くらいはいけると思っていた。

 古典と生物、数学ⅠAは何とか追試で合格できたけれど、化学と数学ⅡB、そして世界史は駄目だった。現代文や英語は授業を受けてなくても何とかなるけれど、記憶教科は流石に無理だし、数学も公式すら覚えていない状態では厳しかった。そして何より苦手な世界史は、もうできる可能性すら感じられなかった。

「……なあ、鶴崎。ウニヴェルシタスって覚えてるか?」

「ウニ……イクラ?」

「連想テストやってんじゃねえぞ! 大学だ、大学。大学の前進。中世ヨーロッパ発祥。授業でやったろうが」

 世界史の授業なんて聞いてるわけないでしょう。いや、他なら聞いてるという意味ではなくて。

「ウニヴェルシタスってのは学生ギルドだ。組合だな。高等教育を受けたいって学生が、金を出し合って教授を雇ってたんだ」

「そういえば聞いたような気も……」

「嘘をつけ。追試で空欄だったろ」

「はい。記憶にございません」

「ったく。……ウニヴェルシタスではな、雇い主である学生ギルドが教授たちに制約を課したんだ。『無断で授業を休んではならない』、『無断で都市から出てはいけない』なんてな」

「学生の側がって……頭おかしかったんですか?」

「んなわけあるか! 当時のエリート達だぞ」

「はあ。偉いですね」

「他人ごとみたいに言うがな、お前だって同じなんだぞ」

「私偉いですよね」

「違うわ! 俺たち教師を雇ってるのは詰まるところお前らだってとこだ」

「ああ」

 そういえば前にも似たようなことを言われた。

 確かに私は学費を収めている。

 いや、私じゃない。そのお金を稼いだのはお父さんであり、季帆さんだ。季帆さんが働いて生活を支えてくれているからこそ、お父さんの遺産から学資を捻出できているのだ。

「分かったか?」

 言葉を詰まらせた私に、青木先生が言う。少し得意気に。俺の言うとおりだろ、と言わんばかりに。

「……お金払ってるんだから卒業させてくださいよ」

「お前が自分で卒業するんだよ! 追追試は夏休み後半の登校日だ。それまで補習だからな。サボんなよ!」

「クーリングオフって利きますか?」

 青木先生は、返事の代わりに、丸めたプリントで私の頭をぺしりと叩いた。



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