君の一番は僕がいい
三章

冷めぬ

 暗い。何も見えない。
 怖い。
 声が出ないし、耳も機能しない。
 誰も、ここにはいない。
 一人だ。
 今、どんな風に動いているのかも分からない。
 そもそも動くだろうか。
 何もない場所で何もない空間で私は、何ができるのだろうか。
(やっと目が覚めたね)
 クマ太郎だ。
 声が出せないので、何か言うことも言い返すこともできない。
 まるでぬいぐるみのよう。
 クマ太郎はいつもこんなふうに小さいころから話を聞いていたのだろうか。
 小学校に上がってムカつくことや怒れること、悲しいことを全部ぶつけた。
 クマ太郎のお腹を叩くこともあったし、涙をぐちゃぐちゃとつけたり。
(今から楓はどうなると思う?)
 わからない。
 だって、こんな暗い中考えてしまうのは一つ。
 死んだ、ということ。
 でも、だったらなんでクマ太郎の声とクマ太郎が目の前にいるのだろうか。
 暗いはずの場所でクマ太郎と対峙している。
 好きだったはずのクマ太郎はもうどこにもいない。
 敵役みたいに移っている。
 黒の真ん中にべったりと貼ったようなクマ太郎の姿に私は何もできない。
(楓と会えてうれしかった。僕は本気でそう思ってる)
 近づいたクマ太郎は私の頬を上にあげるとそのままキスをした。
 なのに、そのキスは気持ち悪くて吐き気がした。
(こうして嫌がるのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。今までそんなことなく大切にされてきたからね。君の太ももに乗せられ、毎日勉強に向かっていた楓に応援したくなった。一緒に寝ることも抱擁してあげたいと思った。辛そうな顔を僕に見せてくれた時はとても嬉しかった。僕しかいないんだと幸福感を覚えた。愛してた。この十一年以上ずっと僕は君の傍にいた。僕の一番は君だった。君も僕と同じだと思った!)
 だけど……と、彼は私の頬を叩いた。
(君は違った!いつもいつも吉沢啓や同じクラスの人の話、両親や男の話ばかりした。僕を頼っておきながら君は僕に一切の配慮をしてくれない。僕はショックだった。傷ついたんだ。だって、僕は君しか知らないのだから!吉沢啓や花沢美玖を家に連れてきたことくらいしかないだろう。花沢美玖は、びっくりした。探していた人間がここに現れるんだから。お互い仲悪い癖に連れてくるもんだから驚いた。だから、君の体をもう一度使った。いつも利用されていたからね)
 クマ太郎はもう私の知っている彼じゃない。
 もう昔のクマ太郎はいない。
(君が気づけないのは仕方ないんだよ?だって、乗っ取ったんだから。簡単に言えば、呪うってことだ。その時はいつやっても記憶に残らないから変に時間を気にする必要がなくて助かるんだ。君には僕がいるって証明するためにこうやって話しかけているのに……。あー、そっか。ここは眠りの場だからね。夢ってことだよ。夢に乗り移ればこうやって会える。君が好きなことを今ならいくらでもやってあげるよ。どうだい?僕が一番だと思わないか?痛くいないし、優しくする。人間が怖いなら僕がいるじゃないか)
 そういって、抱きしめた彼をどけたくても私はもう動けない。
 このままされるがままになるのだろうか。
(でもね、夢ってことは目が覚めてしまうんだよ。僕は誰でも呪えるし、想いのままに操れる。思考さえも変えられる。そのおかげで吉沢は僕ひとりじゃバレやすいことを簡単にやってくれる)
 それって、まさか……。
 あのスマホの画面で見たものは全部……。
(全部、僕がやったんだ!すごいでしょ!?褒めてくれて構わない!彼がそんな人だとは思えないだろう?たまに雰囲気が違うように見えたのは全部僕が吉沢啓を呪ったからなんだよ!彼が殺人鬼になってくれることで、ついに君にまとわりつく男子も女子も消える!両親を殺すのはもったいないから殺さなかったけどね)
 啓は、殺させられたってこと?
 邪魔だから殺したとかじゃなくて、「邪魔だから殺した」っていう思考をクマ太郎が植え付けたことになる。
 それはつまり、彼は殺したくて殺してない。
 誰一人殺してなんかいない。
 殺人鬼になった。
 でも、彼はクマ太郎によって殺された。
 まだ終わってない可能性は捨てきれない?
 終わってないってどういうこと?
 この先もまだ何かするの?
(僕はね、思ったんだ。小学祝い、なんで彼はあんな態度取ったんだろうって)
 あの冷たい態度……。
 今も覚えてる。人気者で笑顔でいる時が多い彼が私に向けたもの。
(よくわかるよ。君はモテるんだ。だから、みんな痩せた時点で隣にいたいと思う。友達とかじゃない。都合のいい言葉でしかない。隣にいれば優越感に浸れるんだ。だけど、彼だけは違った。彼はあの頃にはとっくに好きだったんだろうね。だって、知っての通り人気者だから、恋愛って言葉も意味も気持ちも理解してるだろう)
 今更、だった。
 クマ太郎に言われる前で考えないでいた。
 考えないようにしていた。
 ほんとなわけないから。
 嘘だと思いたいから。
(君のようないちいち男子の心をくすぐるような女子は男子から好かれるだろうね。普通、頬なんか触らせないしな)
 聞きたくなかった。
 それじゃ、私が男たらしいのように見える。
 そんなつもりじゃない。
 仲のいい人にしか見せてない。
 仲良くないとそんなことできない。
 だって、啓は私を救ってくれた唯一の人だから。
(いちいち、感動的な方向にもっていこうとするよね。僕は、そういうの大嫌いなんだ。僕のものになってよ。吉沢啓が僕をクレーンゲームで取るのも君に使われるのも運命で決まってる。そして、君が殺されることもね)
 クマ太郎は、私に抱き着いた。
 すると、視界は開いて明るくなった。
 声もかすかに出せる。
 病院の一室だとすぐに気づけたのは医療器具が顔にも体にもつけられていたから。
 私は生きていた。
 だけど、頭の中に響く「君は殺される」という言葉だけずっと苦みのように残っていた。
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