君の一番は僕がいい
 やりやがった。
 あいつ、胸を刺しやがった。
 吉沢が、楓の体に傷を入れた。
 僕はそれがとても恐怖に感じる。
 あのまま殺せると思っていたのに、まさかあんな土壇場で刺すことを決意するなんて……。
「あのままなら絶対に殺せたのに……」
 今も楓の体からは血が出ていた。
 僕の愛してやまない楓の体に何をしてくれているんだ。
 本当に許せない。
 あいつにそんな体力があるとは思えなかった。
 そもそも、なんであの場で刺すことができた?
 楓の家に来た時、ポケットに刃物なんか入れてたか?
 刃物……。
 そうだ、あいつ、バックの中に隠していやがったんだ。
 夜になれば、僕は楓といたいから吉沢の体に入ることはないから。
 楓に触れられる。
 楓の傍にいられる。
 だから、夜はいつも吉沢の家にはいない。
 見破られていたのか?
 意気消沈させてしまえば、僕が乗っ取らなくてもバレないだろうと考えたのに。
 佐久間も美馬も殺したのはそれが理由だというのに。
 あいつ、なんで……?
 気づいていたはずだろうが。
 被害者はクマに見えて、加害者は人に見える。
 この推理は間違いなく正しい。
 クラスに広めるように脳に小細工を仕掛けたのはこの僕なのだから。
 だけど、あいつに「後ろ姿(人)=楓」だとすぐにわかるか?
 なんども意識をそらすために脳に小細工を仕掛けていたのに……。
 まさか、殺すはずがないだろう。
 刺すはずがないだろう。
 あのバカはなんでこんな奇行に走ったんだ。
 あいつはもう自分なんかいなければ、死んでしまえば、ってそう思っていたはずなのに。
 楓を刺した……。
 ありえない。
 このままじゃ、楓が死んでしまう。
 ちゃんと深く胸を刺しやがって……。
 いかれてんだろ。
 これじゃ、家に戻る前に死んでしまう。
 この傷の深さは危険だ。
 歩くのも大変だ。
 楓自身に後遺症が残るかもしれない。
 ……そうだ、誰かの血をもらおう。
 血を輸血して家まで逃げる。
 そうすれば……。
 すると、楓本人の意識が醒め始めた。
 まずい。
 これでは、彼女が刺されてしまったことを覚えてしまう。
 自分が誰かに操られているなんて知られたら、危険すぎる。
 眠れ。眠れ眠れ!
 今の状態じゃ、脳をいじることもできない。
 想定外なことばかり起きている。
 花沢が倉庫から脱走したこと。
 吉沢が刃物で刺したこと。
 しかし、意外と運は味方するもので……。
 刹那、吉沢の意識が消えた。
 首を絞めた甲斐があった。
 まずい、楓の意識が醒める。
 ……そうか。
 このまま楓と吉沢の意識を交換したらいいんじゃないか?
 僕はどうせぬいぐるみのほうに行くだろうし、楓も意識がない吉沢の方に飛ばされれば目は覚めない。
 あまり考えている時間はないな。
 すぐに吉沢の意識を吉沢から取り出すと、楓の意識を吉沢に渡す。
 そして、吉沢を楓の中に入れるとすぐに家に帰った。
 この胸の傷をどうやって治せばいいのか。
 しょうがないな。
 これはもう仕方がないことだ。
 胸の痛みまでは直ぐに完治できないだろうが、直すことはできる。
 血の流れも遅くすれば、なんとか死ぬまでには至らないだろう。
 楓に死なれたら困る。
 僕も楓が好きなのだから。
 楓が僕と出会った日のことを思い出すよ。
 あの日、君は吉沢と一緒に居たね。
 一緒に居て楽しそうだった。
 羨ましかった。
 僕はこんな檻に閉じ込められてただ取れずにクレーンから落とされて痛い思いをして。
 こんな苦しいことはほかにないよ。
 だけどね、君が言ってくれたんだ。
「あの子、可愛そう」
 君の言葉だからだろうね。
 すごく優しく聞こえたんだ。
 同情とか馬鹿にするとかそんなんじゃない。
 心の底から本気で僕のことを想ってくれているんだって。
 その時、僕に自我が目覚めたんだ。
 少し自慢げの吉沢が取ろうとして何度も失敗して。
 結局諦めたとき呪うって決めたんだ。
 だって、おかしいじゃないか。
 なんで、助けてあげてと言った彼女のお願いを聞いてあげないのか。
 僕がこんなに苦しい思いでいるのに諦めてしまうんだって。
 呪ったよ。
 君らを呪うことを決めたよ。
 でもまずは、吉沢を呪おうと決めた。
 こんなやつ、偽善者だ。
 こいつがもし今後幸を手に入れようものならどんな話術でも使って不幸にしてやろうと。
 結果、美馬との距離もうまく縮まらなかっただろう。
 高校生になっても彼氏はできなかっただろう。
 一軍にすら入れなかっただろう。
 君は、僕がいないと一軍にすらなれない。
 だって、君が好意を寄せているのは一軍の美馬なのだから。
 考えないようにしているのはよくわかるよ。
 見え見えだったもん。
 ああ、こいつ、怖いんだって。
 これまで好きになった人は全員、明るい人たちばかりだもんね。
 君は幼稚園児のときから段々と人と距離を置くようになった。
 わかるよ。
 怖いもんな。
 園児の時に比べて人が増えたから。
 みんなと仲良くなんてできっこないから。
 友達百人もできるわけないって気づいちゃったから。
 可哀そうに。
 もし、誰か男子に明るく声をかけることができれば君も園児と同様の扱いだったのに。
 でも、出来ない理由もわかるんだ。
 君は男が好きだから変に男子と仲良くなりずらかったんだろう?
 仲良くなっていくうえで嫌われたくないって思うようになったから。
 君が閉鎖的になるのはわかる。
 わかってしまうよ。
 僕が、そうなるように全部脳裏によぎるようにしたんだから。
 君が今後、楓と二人になる機会が訪れることを僕は知っているから。
 呪いって、案外使いやすくてね。
 君らが帰ってしまってから僕は吉沢を呪いに呪った。
 夢の中にでも僕が現れただろう。
 君は、それを取らなきゃって思ったんだ。
 今度は僕の思考通りの動きを見せてくれたね。
 この時、僕が人を動かすことができるって気づいた。
 これでやっと、彼女に会える。
 楓に会える!
 楓が喜ぶ!
 僕はもう可哀そうなんかじゃないよ!
 僕は、君のもとにいくよ!
 これから君とずっと一緒に居るよ!
 僕が楓を幸せにしてあげるよ!
 かわいいかわいい楓を!
 痩せてかわいくなったのは知ってる。
 吉沢の脳を利用しているときに知ることができたから。
 大丈夫!もう、怖いことなんてない!
 楓の傍にいてあげるからね!
「一緒に居ようね!」
 楓は言ったんだ。
 だから僕はこれまでもこれからもずっと一生一緒に居るって決めた。
 だけれど、やっぱり、そう簡単に上手く行かない。
 だって、楓にも小学生になれば友達ができてしまう。
 友達ができて外で遊んで、家で遊んでも僕のことは無視。
 それは許されない行為だった。
 君は、一緒に居ようって言ってくれた。
 君が君の言葉を守らなくてどうする?
 学校があるのはわかる。
 君が楽しそうにするのは問題ない。
 だが、わざわざ家にまで呼ぶ必要ないだろう。
 僕を怒らせたいのかい?
 独り占めできていない。
 かわいいかわいい楓を僕一人のものにできていない。
 ありえない。
 おかしい。
 バカじゃないのか?
 そう思った。
 馬鹿げている。
 なんで可哀そうって言ってくれて取ってあげようとしてくれた君が僕を無視するんだい?
 今の僕はかわいそうじゃないのかい?
 もう僕は可哀そうな子じゃない?
 だから、寝る時もあまり考えてくれない?
 怖い夢みたり怖い番組を見たときに僕がいるのに親も一緒に寝ようとするのはどうして?
 僕一人じゃ頼りないか?
 それはないだろ。
 それは違う。
 君が僕を愛してくれているってそう思ったから、僕も一緒に居たいって思った。
 所詮ぬいぐるみだ。
 だけど、ぬいぐるみにも多少の選ぶ自由くらいあるだろう。
 これが変だというのかい?
 自分の都合のいい時ばかり利用する人間じゃあない。
 僕は楓しか知らないし、良い人は楓だけ。
 僕の知ってる楓は僕を見捨てるような人じゃない。
 そうだ。彼女はそう簡単に見捨てない。
 なのに、今の君はどうだい?
 呪ってやる。
 一度、自分がやった過ちを理解するといい。
 その日の夜、怖い夢を見せ、彼女が朝起きたときには泣いていた。
 いい気味だ。
 満足した。
 彼女は僕を抱きしめて泣いた。
 僕がやっと頼られている。
 僕を頼ってくれている。
 そうだよ。楓の見方は僕だけなんだよ。
 だけれど、大泣きする楓に親がやって来た。
 ああ、まだ、親の存在があったのか……。
 僕は、親を嫌うように小細工を仕掛けるようにした。
 それは、逆を言うと親が傍にいないことが子供にとっては一番の悲しみであり距離を離す行為。
 自分はいらないと錯覚してしまうのだ。
 両親の仕事を増やし、夜遅くまで帰ってこないことが多くなった。
 それが功を奏し楓は両親がいてもあまり会話をすることがなくなった。
 不満や愚痴を全部僕にぶつけてくれる。
 そうだ。それがいいんだ。
 君の見方は僕だけだよ。
 ほら、そうやって抱きしめてごらん?
 気持ちいいだろう?
 落ち着くだろう?
 そうやって僕と一緒に居るといい。
 それから、彼女は今日の出来事を話すようになった。
 嬉しいことや悲しいこと、怒られたことなどたくさん。
 そうやって僕は彼女と関係を築いてきた。
 だけど、楓が高校生に上がった時から少し違うなと感じた。
 彼女は僕に向ける目が違った。
 僕が向ける目と同じだったのだ。
 体も成長するこの時期、彼女は僕を恋愛対象だと認めた。
 嬉しかった。
 だけれど、それは僕がぬいぐるみのままでいたくないと思わせる所以だった。
 彼女が僕の手で顔や体を触れさせる。
 彼女は嬉しそうに微笑む。
 そんなことが多くなっていくたびに僕は彼女の体にリアルに触れたいと思った。
 それは、夏休みが始まるころのこと。
 利用できるだろうと思っていた吉沢はこのタイミングで来るのかと思った。
 吉沢の精神を崩壊させ僕が利用しやすくなると早く楓と会話する場面を作りたいと思った。
 だからこそ、美馬に好意を寄せる吉沢は邪魔臭かった。
 関係がこじれたらどうするのだろうかと。
 吉沢以上に努力する美馬と同等のレベルにしたらライバル関係として友達としていい人間関係になるのではと判断した。
 おかげで、吉沢は一軍入りできたしそれでも謙遜を忘れないよう心掛けたから妬まれることもない。
 ちょうどそのくらいのころから学校でも話すことが増えた。
 以前は夏休み終わりごろに夏鍋というバカなことを考えた楓と夕飯を取ったくらいしかなかった。
 吉沢と楓は学校で話すことが増えていくと同時にボディタッチも少しずつ増やした。
 そして、彼女に触れることが増えた。
 彼女の頬は人間になって触るとモチモチしている。
 少し上から見るくらいの背丈なので上目遣いがかわいらしい。
 彼女の良さは人間になるとよくわかる。
 僕も人間として彼女の傍にいたかった。
 吉沢を利用しなければいけない体はとても嫌なもの。
 僕が人間ならば関係なかったというのに。
 彼女が僕に触らせてくる場所を僕も触りたい。
 頬だけでなくもっと、もっと……。
 だが、もう少しの辛抱だ。
 彼が精神的に崩壊して終わりを迎えるまでは待っていなくてはならない。
 いや、待てない。待っていられない。待ちたくない!
 二年生になったころ、状況は一変した。したというよりさせただけれど。
 彼女の周りに来た女子たちがあまり良いタイプの女子ではなかったから。
 利用価値という判断で楓といようとするのだ。
 気持ち悪い。汚らわしい。
 だから、その利用しようとする佐倉と花沢の友である伊藤を行方不明にしようと決めた。
 伊藤はどこに行ったのかわからなかったからどこかで死んでいる可能性もあったがまさか、花沢が匿っていたなんて最悪な話だ。
 そのせいで、クマの噂まで流れてしまった……。
 だが仕方ない。
 予定にはなかったが、伊藤は殺すとしよう。
 しかし、それなのにいまだ見つからない。
 佐倉の家に泊めたなんて聞いてため息が出た。
 人を利用する人間のくせに友達精神は旺盛なんだと吐き気がした。
 友達ごっこをするくらいなら殺してあげるのが優しさだ。
 楓の体を借りて夜、歩いているとやはり見つけた。
 伊藤の体に取りつき呪い殺す。
 田んぼの中で誰かに見つからせるようにしよう。
 これだけ大胆にやれば、衝撃はすぐにクラスに広まるだろう。
 今度は、花沢か?佐倉か?それともクラスメイトの誰か?
 されど、伊藤は結局のところ楓の友達だ。
 凄く悲しそうだった。
 可哀そうだった。
 だから、吉沢の体を利用してその泣いている姿を見ることにした。
 かわいい。何とも言えない高揚感がそこにはあった。
 大丈夫。僕が守るよ。
 楓を傷つける人はすべて僕が排除してあげるからね!
 守るためには、その人の存在がいなくなることが大事。
 ならば、花沢も佐倉も殺してあげよう。
 彼女らもその性格で大人になってしまったら可哀そうだ。
 彼女らも守るよ。
 良い人生のまま終わりたいじゃないか。
 だから、佐倉も殺し、花沢も殺した。
 やっぱり楓は優しい。人が死んだら人のために泣く。
 どれだけ優しい心の持ち主なんだろう。
 楓らしくいられなくなるあの二人が死んだというのに!
 純粋だ。とてもきれいな彼女だ。
 だから、刺されたことに僕は怒りを感じている。
 吉沢は利用できると思ったのに、こんなバカげたことを!
 やっと治って来た彼女の体。
 胸の傷も見えなくなってやっとよくなったころ。
 僕は、吉沢の中にある楓の意思を楓自身に返す。
 吉沢の意思も吉沢自身に返した。
 あいつは眠ったままでいい。
 あのまま病院にいてくれればいいさ。
 今の吉沢に必要なのは反省なのだから。
 やっと戻ってきてくれたね、楓。
 僕が隣にいるよ。
 僕が今日も守ってあげるよ。
 なのに……。
 なのになのに!!どうして!!
 どうして、君は病院送りにされた吉沢の見舞いになんか行くんだよ!!
 バカじゃないのか!?君を刺した本人だ!殺そうとした本人だぞ!?
 お前ってやつは、これだから優しいって言われるんだぞ?
 その優しさが僕は好きだ。
 だけど、そうじゃないだろ?
 優しさって救うべき人に差し伸べるものであって救う必要のない人には手を差し伸べない。
 そんなことするやつは、偽善だし優しさなんかじゃない。
 エゴって言うんだよ。
 わからないのか?
 君はとてもやさしいし自分の意思も持つ人間のはずだ。
 誰かが苦しいから手を差し伸べるんじゃない。
 誰かが一人寂しい思いをしているから手を差し伸べるんじゃない。
 誰にでも優しくするのは誰にも優しくない証拠なんだよ?
 優しさが牙をむくことだってある。
 それが優しさではなくエゴだったってことなぜ人間は気づかない?
 なのに、なんだその目は!
 なんで、吉沢にそんな目を向けているんだよ!!
 バカバカしい!
 帰ろう。な?
 帰って俺を膝に乗せて勉強でもしよう。
 せっかく、命を紡いだんだ。
 わかるだろう?
 僕の言うことを聞いてくれればいい。
 聞いてくれたら悪いことは起こらない。
 怒らないから早く言うことを聞いて。
 しかし、彼女は時間ギリギリまでずっと吉沢を見ていた。
 それどころか、吉沢の顔に触れ、頬に触れ、朗らかな目をした……。
 ムカついた。
 なぜこいつが。
 この同性愛者にいらぬ感情を持つな。
 どうせ、こいつは死んでもいいと思っている存在。
 だからもういいじゃないか。
 毎日行くな。
 病院に見舞いに行くんじゃない。
 そんなくだらないことしなくていいだろ。
 君は僕だけを見てくれたらいいんだよ。
 ……なんで、また病院に行く?
 一度、味わらせてやろう。
 僕を怒らせたらどうなるか。
 その日の夜、彼女を車で轢かせた。
 車で轢かれた彼女はすぐに病院へと送られた。
 これだけで済むと思うなよ?
 こんな甘ったれた罰で終わらせるほど優しくはないさ。
 優しさってのは、時に厳しくなるのさ。
 本当の優しさをこれから教えてあげる。
 君が、毎日のように吉沢をみるから吉沢にやってもらうことにしたよ。
(さあ、起きて?)
 順調に回復している彼女が眠りから覚めさせる。
 かわいらしい寝顔を見るのは今は必要ない。
「クマ太郎……」
 君が犯した過ちはちゃんと罰することが必要だよね?
 僕を怒らせるって言うのはそういうことなんだよ。
(久しぶり)
 眠りから覚めさせるというより夢の中で会うというのが正しい表現か。
「なんで、また……」
(なんでじゃないよ。僕は、君に伝えることがあるんだよ)
「……」
(僕は楓が好きだ。楓は?僕のことどう思ってる?)
 驚いたように目を見開いた。
 ぬいぐるみに好意を抱く彼女からしたら嬉しい話なのだろう。
「ほんとに……?」
 少し勘ぐるようなニュアンス。
 間違いじゃない。
 正しい反応だ。
(本当さ。僕は、君が好きでいつも一緒に居たいと思ってる。答えを聞かせてほしい)
「……私も。私も好きだよ!だから、退院したらいろんなことしようね!」
(うん。同じ気持ちだって知れてうれしいよ。退院できると良いね)
「できるよ!」
 できない。
「また検査があって骨折とかはしちゃってるけど、出来る範囲でいろんなことしよう!」
 骨折云々関係ない。
(良いね。それがいいかもしれない。できるならね)
「だから、出来るってば!」
(できない)
「……え?」
(……な、なんで、そんなこと言うの?)
 悲しそうな目で僕を見ている。
「今までそんな否定的なこと言わなかったじゃん!映像のこととかあるけどそんなこと関係ないじゃん!同じ気持ちだったんでしょ?ちょっとからかいたくて意地悪したんでしょ?あの映像は嘘なんじゃないの?」
(嘘じゃない)
「嘘!」
(嘘だと本気で思っているのか!?ありえるわけないだろうが。あんな映像、ただのタブレットでできる代物じゃない。本物を流すほかないんだよ)
「そ、それでも!!」
(君は人を殺してる。だから、一緒に居たくてもいられない。家に帰れるわけがない。警察にバレたら即刻、逮捕だ。会えない。会いたくても会えない。悲しいよ、辛いよ。僕だってこんなこと言いたいわけないじゃないか……!)
「……クマ太郎」
(だから、僕は君を待ってるよ。捕まっても記憶がない。覚えてないって通せばいい。精神的に不安定だったことにしてしまえば、刑は優しくなるはずだ)
「でも、私、やってない……」
(やってないわけないだろ?僕も認めたくはないけど、気が動転していたんだ。だから、あんな口調になってしまった。認める。ごめん。だけれど、あれは紛れもない事実じゃあないか)
「クマ太郎は、私のこと信じてくれないの?」
(信じたいよ!!信じたいからこそ、本当のことを聞いているんだよ!!君の目に嘘がないとは思えない。十年以上一緒に居るのだからわかるよ……。何か、心当たりがあるんじゃないのか?それとも、なにか心残りがあるのでは?)
「……私が胸に痛みを感じることは?なんで、私はある時から胸が痛むようになったの?」
 完治できなかったことで起きてしまった後遺症のようなもの。
 激しく運動すると、急に動いたりすると胸が痛むこと。
 啓にやられた傷。
(あれは、すぐにわかるよ。明日にでも起きたらすぐにね)
 でも、それじゃあいけない。
 まだ僕のやさしさはこんなもんじゃない。
 これは化粧で言う下地みたいなものさ。
(でもね、君は、気づいた方が良いよ。この映像がどれだけよくないのかをね。優しい人は簡単に教えてくれない)
「どういう意味?」
(楓は、優しいよね。だから、分かるはずだ。苦しんでいる人ほど放っておけない)
「それは、確かに……でも」
(だから、殺した。殺して楽にしてあげた。苦しい人ほど楽にしてあげないと可哀そうだから。それに気づくべきだ)
「私がそんなことしない!!」
(本当に言い切れる?)
 僕は、彼女の頭をいじった。
 自分が人を殺した事実を見せた。
 伊藤なら、首を絞めているところを。
 本当の死因ではないけれど。
 彼女はそれらを全部思い出したようで、顔は絶望しきっていた。
 自分が殺した事実にようやく向き合ったのだ。
 これで完成に近づくぞ。
 彼女の頬に涙がスッと流れた。
(思い出した?)
 コクリと消失しきった目で頷いた。
 そうだ。
 これでメイクは完成だ。
 あとは崩れないようにスプレーをかけるだけ。
(大丈夫だよ。警察に行こう。いつまでも待っているから)
 そういって、優しくハグをした。
 へなへなと座り込んでしまった彼女は当分、起きることはないだろう。
 起きたときには吉沢がいるように仕込まなければ、彼女にメイクをした意味がない。
 吉沢にまた同じように殺してもらうために。
 吉沢も傷心しきった顔で天井を見ていた。
(なにをしているんだい?)
 こいつに今更ぬいぐるみということを伝える必要はない。
 なにせ、一年近くこいつを乗っ取ったのだから。
 こいつの今の学校での評価は僕が築き上げた評価であって彼のものではない。
「……」
(とっくに事情聴取は終わったんだな)
 こいつの脳を覗いてみると警察に自白したようだった。
 自分が美馬も佐久間も殺したということを。
 面白いことしてくれたじゃあないか。
 今、自白するなんて馬鹿なことを……。
 親が泣くぞ?
 僕もなくぞ?
 もう一仕事する前に自白するなんて。
 でもまあいい。
 どうせ、殺してもらえればいいのだから。
 こういうのは僕が乗っ取るよりも自分の意思のままに殺すのが大切なのだ。
「お前が殺したのに。俺は……殺したなんて……言いたくなかった……。美馬が好きだから……」
 どうでもいいことを……。
「お前が殺したのに、なんで俺が捕まらなきゃならないんだよ!おかしいだろうが!」
 くだらない。文句なんて聞くに堪えん。
「俺、犯罪者になっちまったよ……」
(誰のせいだと思う?)
「お前のせいだろ」
(違うね)
「は?」
(全然違う)
「馬鹿げたこと言うなよ」
 怒りは頂点に達しているよう。
(僕もしたくなかったよ。こんなこと……)
「ふざけるな。もともと楓が好きで楓と一緒になるために俺を一度精神的に終わらせる必要があったんだろう?だから、殺した!」
(僕がそんなこと一度でも言ったか?)
「言ってなくともなんとなくわかる」
(おいおい、それはデマが流れる元凶と同じ理屈だ。まあでも、ちゃんと解釈できなくてデマを流すやつもいるけどね)
「そんな話はしてないだろ」
(おっと、そうだった。君は、殺していないのにって話だもんね)
 ふざけて見せると彼はベットを叩いた。
 あーあ、こいつに自我を持たせるようなことしたのは間違いだったな。
 楓と関わらせたことで感情に火が付いたか。
(話を戻すと、これは全部楓のせいなんだ)
「何を言ってんだ」
(楓のために僕は動く。楓が好きだからね。楓が苦しんでしまうのは好きじゃないんだよ。悲しむこともね)
 不思議そうな顔をしている。
(楓は、以前から美馬と佐久間が気に入らなかったんだ)
「聞いたことない。そもそも、そんなんで」
(そんなんじゃないから、殺したんだよ?だって、楓を取り巻く三人のなかの誰だかに美馬を好きになったやついなかったけ?)
 知らんけど。
「知らん」
 知らんらしい。
 ……僕も知らん。
(ていう、冗談はさておき。あの三人がずっと美馬や佐久間の悪口を言うんだって。そんな不満や文句を言うもんだから言ってやった。じゃあ、今行方不明じゃない二人を殺してみては?ってね。全部、彼女のためなんだけどね)
 嘘だけども。
(でも、二人を殺すのは怖いんだって。じゃあ、話題になっている火元を消せばいいじゃん。そう言ったんだよ。でも、ダメだった。ショックだよねー)
「美馬も佐久間も殺す意味はなかった」
(そうだよ。だけど、どうせなら殺そうって思った。火元を消せれば彼女の文句は消える。それは僕にとっても清々しいことだ)
「ふざけんな!そんなんで殺したのか?そんな理不尽なことで!?ありえない!お前が楓のために俺の恋まで奪うのかよ」
(だって、仕方ないじゃーん。人には人の関係があるのだからそういうのが壊れることもあるよねー。もし、そんな怒るんなら楓に言いなよ)
「適当なことを……」
(僕は極めて真剣さ。そんな適当なこと僕は言わないよ?)
「……」
 怒りは極限状態って感じか。
 メイクも完成したし、火は上がったまま。
 彼の復讐に花を咲かせようか。
 そのメイクも完全に壊れる時はもう近い。
(人の言葉には目には目をってあるだろう?言葉で解決できないのだから行動で示した。ならば、君も行動で示そう。殺そうよ。君の大切な人を奪った彼女を。僕の苦しみも君が晴らしてほしい……)
 最後は涙声で。
 彼は、バックから護身用の刃物を取り出した。
 復讐の炎は空にまで届きそうだ。
 その炎でメイクも炙れ。
 殺してしまえ。
 楓に今必要なのは本物の痛みだ。
 高校生だからといって痛みを知らないのは間違いだ。
 自分を見つめ直すいい機会になるだろう。
 そのころには死んでいるだろうが。
 思い出す。
 クレーンゲームの餌食になっていたころを。
 理不尽に文句を言われ、ゲームを叩かれ、あのクマまじで動かねえとかあいつ取らせる気ねえだろとか散々文句を言われた日々を。
 僕は悲しかった。
 辛かった。
 あの理不尽な経験はもう二度としたくない。
 だから、僕は彼女に対して優しくした。
 優しくしたのだから僕にも優しくしてほしい。
 見返りを求めるな?
 知らないよ。
 人間はみんな求めているじゃないか。
 恋をした人間だって彼氏に好きだという言葉を求める。
 好きなら自分から言えばいいのに言わない。
 僕と彼ら人間がどう違うというのか。
 違わない。
 僕に自我が芽生えてからはなにも違いはない。
 違うことなど何一つない。
 自分のせいなのに人のせいにして文句を垂れてばかりのやつ。
 できないことを人のせいにして自分を肯定するやつ。
 僕はもう十分だ。
 人間に何も求める必要はない。
 楓は好きだ。
 だけどもう、恋愛対象じゃない。
 楓といういじる相手がいたからよかっただけ。
 頬が柔らかく容姿が優れていただけの女子。
 彼女は僕のことを何一つ考えてくれない。
 ぬいぐるみでいる時、嫌でもそれをさせられる。
 そういうことをし始める。
 どうしようもない。
 段々嫌悪に変わった。
 夜に見る昼間とは違った表情。
 それは好きだった。
 だけれど、僕の気持ちは一向に見ていない。
 冷めてしまった。
 君はもう生きていなくていい。
 君のために全力を注いだし、君だけを見てきたけど、もういらないよ。
 なんでだろうね。
 君は優しさなんか持ち合わせてなかったからだと思うんだ。
 吉沢を使うことでやっと手に入れた人間としての彼女の感触はすごくいいものだったのに。
 君がぬいぐるみを見ているとき、ぬいぐるみだけが好きなんだとようやくわかった。
 ほかの異性や同性に何も感じない。
 対象にはならない。
 だから、苦しかった。
 僕が吉沢を利用しているときにそんな目をみせられたのだから。
 悲しかった。
 僕の気持ちも考えずに毎晩のように昼とは違う顔を見せる君に疲れ果ててしまった。
 君は優しい人でも何でもない。
 ただ利用できただけ。
 好きなんじゃなくて自分本位なだけ。
 僕の気持ち考えていないのだから恋愛にはならないだろう。
 伊藤も花沢も佐倉も美馬も佐久間も殺す必要なかったかもしれない。
 無駄殺しだ。
 もったいないことをしてしまった。
 だけどね、楓。
 君のことは、無駄だと思わない。
 時間も生活してきた日々も。
 これが最後だ。
 あとは、吉沢が楓を殺してくれる。
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