ムショうの

 鼻の奥がツンとした。
 アオイの家には、もう当分行きたくなかった。だって、そこには必須なんだ。キス、とか。それ以上、とか。

 そういうコトがないと、一緒にはいられないのだろうか。

「・・・一緒、帰ろ」

 はにかみながらそんなふうに言われたかつての日を、思い出すととてもまぶしい。

 歩く。歩く。ほとんど走っている。
 左の親指の先が痛い。ツメがのびているのかもしれない。

 貴重で、かけがえがなくて、胸がきゅううと苦しくなる出来事が、だんだん当たり前になって、その次その次って、じゃあ、その次がなくなっちゃったら、どうなるの。

 ツメがとてもいたい。


 
「おかえりぃー」

 間延びした声。
 家についたわたしを出迎えたのは、うのちゃんだった。

 前髪をねじってピンでとめて、おでこ丸出しのうのちゃん。ドアから飛び出してきたその顔に、ちょっとビックリする。

 ・・・ああ、そうだ。そうだった。
 うのちゃんは昨日から、実家に帰ってきたんだった。

 離婚して、自分の荷物だけ持ち帰って。昨日からまた、うのちゃんは我が家の一員になったのだ。

 うのちゃんのあとに続いて、リビングに入る。ハイペースで歩いてきたから、息があがっていた。
 そんなわたしとは真逆で、のんきに鼻歌をうたっているうのちゃん。

 わたしよりうのちゃんのほうが、ずーっとこの家になじんでいるみたいだ。数年ぶりなのに、不自然さがまるでない。

「ねえねえ、こまり!なにか飲む?コーヒー?紅茶?アールグレイ?」

 キッチンに立ったうのちゃんが、わたしにたずねる。 

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