再会彼氏〜元カレは自分を今カレのままだと誤認しているようです~
後ろから髪を梳かれるのが、こんなにも妖しく感じるなんて、どうしてる。
「……どんなことされてるんですか。教えてよ」
頭のてっぺんから、毛先まで。
まるで何かを上書きするように――本当に律の香りを払うように、吉井くんの指が何度も往復する。
「そ……んなこと聞いたって、気分悪いだけ……」
「……うん。単純に、好きな子に手を出されてるってだけで気分悪いに決まってる」
「なら……」
知らない方がいい。
知らないでいてほしい。
「でも」
狂ってるのは律だけじゃない。
私だって大概おかしいなんて、律以外に誰にも知られたくない。
「城田さんは、もっとでしょう。聞いただけで吐き気がするみたいな、そんなことされてるんですか。それでも、怖くて逃げられない? ……気持ちよくて、やめれない? 」
それは諦めなんだろうか。
律への愛情なんだろうか。
「責めたりしませんよ。俺は、怖いことはしません。……って、あいつも言うよね。でも、俺は違う」
誰か――吉井くんに、助けを求めてしまってるからなんだろうか。
「城田さんがやめたいなら……は、嘘。沼は気持ちいいこともあるかもしれないけど……俺、やっぱり引き上げてあげたいんです。好き、なんですよ」
ロッカーが、またカシャンと音を立てる。
首を振って払えるのなら、とっくに何もかも綺麗になってる。
別に何てない音が、妖しく聞こえるような耳にはならない。
「本当にやめた方がいい。……吉井くんはいい人だよ」
「それ、牽制ですか? でも、そうですよ。悪い女ぶるなら、都合よく俺を使っちゃえばいいじゃん。俺、城田さんにとっていい人なんでしょう? 」
そんなことできるわけない。
でもそれは、私がいい人だからじゃなくて。
「……私、別れるつもりないの。再会した時は迷ってたけど、やっぱり……」
「やっぱり、離れられないだけ、ですよね」
そこで、かっと赤くなる権利なんかないのに。
今更、どうして大人しく閉じ込められてるんだろうと自分を責めた。
「城田さんも分かってるから、三年前の転勤に何の不満も言わなかった。……すごいですよ。だってあの彼氏じゃ、それだけでも大変だったはず。頑張ったんですよね」
押し返そうと向き直ったのに、優しい視線を注がれて手が動かない。
(……なんで、そんな目ができるの……)
酷いこと言ったのに。
最低だって知られてるのに。
もっと、軽蔑した目で見下ろしてくれたら。
「そんな男相手に、一人じゃ無理ですよ。とりあえず、俺の告白は置いといて、まずはそっち片づけません? ……俺を利用してよ。……って、できないんですよね。でも、俺もあいつムカつくから、別に損はしないんです。終わったら、俺のこと考えてみたらいいじゃないですか。たぶん、ちょっとは情がわいてて、今より付き合いやすいかも」
何も面白くなんかない。
でも、わざとそうやって交換条件みたいに言ってくれるのが、何となく吉井くんらしくなくて、笑ってしまう。
「やっと笑った。ね、俺となら、そんなふうに笑えるんだから。少なくともあんな男よりは、俺、いいと思うんですけど? 」
(……そうだね)
好みはそれぞれだし、相性だってある。
だとしても吉井くんは、たくさんの人にとって「理想の彼氏」なはずだ。
きっと、私にも。
それでも私は、この手を取るわけにはいかない。
(……手を取ったら)
私の足元にしかなかった沼が、広く、深く侵食して――あっという間に爪先から頭まで覆い尽くしてしまうから。