再会彼氏〜元カレは自分を今カレのままだと誤認しているようです~
「……お騒がせしてます……」
さて、私はどこへ戻ればいいのやら。
トイレに逃げても人はいるだろうし、オフィスに戻れば吉井くんがいて気まずい。
いや、そんなこと言ってられないけど。
でも、少し熱を冷まして戻りたかった。
エレベーターを使えば、律を追いかけたと思われる。
ここは、運動の為にも階段で下まで降りてみるか。
帰りはエレベーターを使うとして、その頃には私もあちらも落ちついているだろう。
薄暗くて、静かな階段はやっぱり一息吐ける。
あんなことがあってから、階段を使うことは避けてたけど――吉井くんはオフィスにいるはずだし。
「………」
「……から……っ」
一階に到着すると、扉の向こうから話し声が聞こえてきた。
それが二人の男性の声で、一人は冷静で少し遠い。
なのに、もう一人の声は焦ったような怒ったような声だなと思った瞬間、それが誰と誰の会話なのか分かってしまった。
――律と、吉井くん。
(どうして……!? )
律は帰ったはずだし、吉井くんだってオフィスにいると思ってた。
律を吉井くんが追う姿は見なかったから、待ち伏せか待ち合わせでもしていたとしか思えない。
「……おかしなこと言うな。小鈴が倒れた原因って、君でしょ。普通、俺がキレる方じゃないの。小鈴を悩ませたくないと思って、我慢してんの俺なんだけど」
「……彼女を大切にしてるアピール、上手ですよね。でもそれって、単なるパフォーマンスなだけで、全部自分のエゴとか支配欲とか満たしたいだけじゃないですか 」
迷うことすらできない。
そっと細くドアを開ければ、それがこの二人でこの内容の会話だとすぐに確認できた。
「本当に彼女が大事なら、もっと誠実な繋ぎ留め方あるでしょう。こんな、束縛なんてものが生温いやり方。あんたがやってんのは、飼い殺しと一緒……」
「……誠実? 」
どっちの言い分も理解できる時点で、一番おかしいのは私だ。
律と私の関係が、一般的な恋愛とは距離があることは分かってる。
それでも、この気持ちが恋愛とかけ離れているとは思わない。
「俺と君と、どっちが誠実だと思う? ……って、自分だって思ってるから、そんな正面から噛みついて来れんだよな。でもさ、よく考えてみ? 」
誰か来たら。
部長や社内の人が見たら。
早く止めなきゃと思うのに、足が竦んで動けない。
「正義のヒーローぶって、お姫様救出パフォしてる裏で、頭んなかであいつに何してるのか……可愛い可愛い好きな子に、誠実に正直に全部言える? あわよくば俺と別れさせた後、それをあいつにしないって誓えんのかな」
「……っ、それは……」
なのに、目と耳は必死に情報得ようとしてる。
「はい。俺のがあいつに誠実、でしょ」
律が穏やかに微笑んでるところも。
「欲望のまま動いてる分? そんなの、誠実なんて言わねぇよ。ただ、彼女を思いどおりにしてるだけだろ」
吉井くんが、唸るように低く言うのも。
「それはさ。俺も後悔してんのよ。あんな伝え方しなきゃ、小鈴を苦しませることなかった。吉井くんの言うとおり、繋ぎ留めるのに必死で、迷ってる小鈴を逃したくなくて、身体から甘やかしに入ったのは……本当に可哀相なことしたって思ってる」
呼吸困難になりながら、それでも目が離せない。
耳も塞げない。
背を向けることなんか、できるわけない。
『……律……っ。もう……む……』
「もう無理ーって。これ以上は怖いって泣いてんのは、本当に可哀相なくらい可愛いかっ……」
「てめぇ……! 」
意識が、飛ぶ。
何度も何度も何度も。
律と別れていくら経っても、瞼の裏からも耳奥からも消えてくれない、あの頃の律の部屋に。
「それも本音。坊やはそう言って俺を責めるし、それもそのとおりだって何度悔いたか分からない。でもさ、飼い殺されてんのは、実は俺の方だと思うよ? 」
「な……城田さんが、そんなことするわけ」
「ないよ。あいつは無意識だし、何も悪くない。でも」
胸ぐらを掴まれたまま、払い除けることすらしない律は、やっぱり穏やかに笑ってた。
「囚われてんのは俺。あいつから脱け出せないのも俺。ハマってんのは俺の方だし、飼われてるって言うならそうかもな。でも、俺はそれで幸せ。他人のこと、勝手に清く正しい測り方すんなよ。そんなものさし、自分にすら使えないくせに」
他人の恋愛に、自分の価値観は通じない。
二人の間で成り立っているから生まれて、続いていくんだ。
「一度失って後悔してる。辛い思いも、もうさせない。自分にも、他の男にも。可愛いとは思っても、苦しませて喜ぶ趣味はないの。あいつが安心できるように……そうね。誠実でありたいと思ってるよ。忠告、ありがと」
吉井くんの力が緩んで、シャツの乱れを正して。
どこまでも落ち着いた様子だけど、本当はどう思ってるんだろう。
でも、これだけは分かる。
歪みすぎて、他人には測れないかもしれないけど。
きっと、それは本心だって。