再会彼氏〜元カレは自分を今カレのままだと誤認しているようです~




聞きたくもないのに、もう一歩も動けない。


「そりゃあさ、他に好きな人いるから付き合わない、彼女扱いしない、気分次第の身体だけでいいなら、なんて言われてそれでもって言う方も言う方だけど。……確かにあのルックスならね。好きになった気分になるし、事前に言われてたって、もしかしたらってなっちゃうよね」

「でも、その身体だけってやつも、結構なクズさだったんでしょ? 彼女扱いどころか、そういうのにでもなった気分だって……」

「ちょっと、声大きいから……! 」


「やだー」とか「聞こえるって! 」とか、笑いながら盛り上がってるということは、実際の被害者はあの中にはいないんだろうけど、それにしても生々しかった。

カップとソーサーが擦れる音、誰かがキーボードを叩く音、本のページを捲る感じ……誰かのお喋りで消されながらも、時折聞こえる微かな心地よい音がもう一切聞こえない。
ううん、それどころか、彼女たちの笑い声の他は何も。


(……噂……)


それなら、まだ噂の域だ。
好きな人がいるって事前に言ったってことは、きっとあの三年間か付き合う前のことだし。
お互いフリーで、同意の上なら――……。


(……違う……)


それにしたって、やっていいことと悪いことがある。
そんなの、当たり前だ。
あれが本当なら、許されることじゃない。

でも、私には優しい彼氏だ。
「でも」なんて、私以外にはなんの意味もない言葉だったとしても。
考えてみたら、いつから私はあんなに溺愛されるようになったんだっけ。
記憶が薄れているのはあの三年前辺りだけで、律のこと自体は何もかも覚えている気になっていた。


(いつから……ううん、どうして)


――私は、律を好きになったんだっけ。






・・・




もちろん、記憶喪失になったわけじゃない。
記憶を辿ろうとすれば、ちゃんと思い出せる。
それだって、正常だとは言えないのは分かってるけど。
律に初めて会ったのは、運動不足解消の為に通い出したジムだった。


(……最悪……)


入会したはいいものの、仕事終わりのこの時間は最悪だった。
あれ? この時間に混んでないのは意外だな、と最初は思ってたけど、それも納得。
露出の高い、スタイル抜群の女の子が輪になってて何事かと思えば、確かに格好いい男性がひとり。
この中じゃ、男女関係なく集中できないし、そりゃやる気も削がれるだろう。
私も通う時間帯を変えようと何度も思ったけど、休みの日まで会社近くに来るのが面倒で、結局何度も遭遇する羽目になっていた。
せめて、いつもよりちょっと遅めに来てみたのに、今日は何とあいつ一人だ。


(時間ずらしすぎた……)


気まずい。
いや、彼は私なんて眼中にないだろうけど。
とにかく、あっちを見ないようにしなきゃ――そう思うのに、こっちのマシンをご希望なのか向かってくる。

……帰ろう。
これはこれで、集中できない。
入会したばかりだけど、こんなことならもう退会した方がいいかも。


『……あ』


すれ違いざまに、彼が持ってたタオルが落ちて――つい。


『…………』

『……普通、そんな飛び退く? まだ来たばっかで使ってないのに……傷つくんですけど』


チヤホヤされてるモテ男に拒否反応が出て、つい、必要以上に落ちたタオルから後ずさってしまった。


『……お疲れさまでした』


「ひどいなー」なんて言うのは、聞こえなかったことにする。

普通、ね。
他の女の子なら、すぐに拾って呼び止めたんでしょうね。


『だから、来たばっかりだってば。君もだよね。帰るの? 』


(みんながみんな、あなたに興味があるわけじゃないんですからね……! )


イライラする。
今日なら、もしかして気兼ねなくやれるかと思ったのに。
取り巻きがいないのはよかったけど、まさか本人に絡まれるとは。


『ねぇ、俺何かした? そんな、堂々と無視されるようなことし……』


無視して帰ろうすると、なぜか追って来られてふつふつと怒りすら込み上げてくる。
でも、そんな態度が逆に面白かったのかもしれない。


『〜〜っ、じゃあ、言いますけど! 邪魔なんです! いつもいつも本当に……! 失礼します……!! 』


ぴったりついて来られるのにまたイラッとして、振り向いて目と鼻の先で噛みつくように言うと、悪びれも何もなく、ただ目を丸めてきょとんとした顔には。


(……確かに、格好よくてムカつく……)


なぜか、ちっとも腹は立たなかった。




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