再会彼氏〜元カレは自分を今カレのままだと誤認しているようです~
「……お疲れさまです」
エレベーターに乗って、ドアが閉まるギリギリを狙って吉井くんが乗り込んできた。
諦めが悪いというより、律儀なんだろう。
こうでもしないと、挨拶もできないのは分かるけど。
「……嫌な思いするよ? 」
その声は、仲のいい後輩に戻ってる。
でも、少し無理をしてくれているのは分かってた。
「でしょうね。どうせ、お迎え待ち構えてるんでしょう。あの人、あなたを手に入れたままにしとく為なら、使えるものは何でも使いますね」
「…………誤解、解けてよかったね」
抱えた花束を眩しそうに見るだけで、返事はなかったけど。
大丈夫。
もう、吉井くんが被害に遭うことはない。
「……そうですね。そのわりに、警戒してくれてありがとうございます。今のところは、そういうことにしておいてあげますよ」
気まずいエレベーター内、無事に一階に到着して肩の力が抜けた。
退職するでもないのに荷物が多いからか、横から腕を伸ばして開閉ボタンを押しっぱなしにしておいてくれる。
「……でも、今度こそ普通の恋愛したくなったら、いつでも言ってください。逃げたくなったら、いつでもおいでね。先・輩」
「……」
振り向いて、無言で笑って。
エレベーターから降りると、駆け出した。
吉井くんが怖かったんじゃない。
だって、彼氏が待ってるんだもの。
「お……っと。お疲れ。なに、寿退社したくらい荷物あるな。……って、冗談。俺だって、小鈴がずっと一日家にいるのまだ想像つかないもん。ま、でも……ちょっと休んでみて、また疲れたらなんびりしたらいいよ。社内異動とはいえ、またイチからやるの大変だろ」
大荷物で突進してくる私に笑って、背中を支えてくれた。
「……ほら、おいで」
チラッと。
私の頭上で、律の視線が平行に止まった。
奇しくも同じ台詞が耳元で聞こえたけど、私は迷わない。
荷物を持ってくれようとする腕に、ぴったりとくっついた。
「律。大好き」
本当は、ここでキスしたかった。
明日から、期限が切れそうだった有休消化の日々だ。
だから、誰に見られてもいいやって思った。
何より、相手は知れ渡った婚約者だし。
「……小鈴」
なのに、できなかったのに。
「頑張ってくれたの。ありがと」
まだ吉井くんがいてもいなくても、遠くて見えてるか分からなくても。
ここでキスしたかったなんて、私こそ普通じゃないのかもしれない。
「でも、無理だった? いいよ。十分可愛すぎるし、最高の気分。俺からしたくなっちゃったけど……ん。よしよし。恥ずかしいもんな」
こんなことで涙で滲むなんて馬鹿みたいだし、それだって十分すぎるほど恥ずかしい。
でも、せっかくの律へのお返しの機会だったのに。
「大丈夫。ちゃーんと伝わってるから。……じゃあ、これなら恥ずかしくない? 」
笑って私から荷物を奪うと、そのまま私の手を取って指に口づけた。
「……恥ずかしい」
「そっか。じゃ、早いとこ車に乗るまで我慢して……」
でも、今しかない気がした。
律が感じ取ってくれるよりも、もっとたくさん伝えるには、今を逃しちゃいけないと思った。
「大好き。律だけだから」
真似てキスしただけなのに、唇が触れた大きな手がピクリと震えて。
「も、持ってくれすぎだってば。早く行こ……」
「……賛成。な、何でもさ。反則したら、ペナルティあるって知ってる? 」
「……何の!? 」
喜んでくれた方だって分かって、ホッとしたのも束の間。
「俺の予想以上に、可愛いことしちゃった違反? あー、今日は無理……じゃなくて」
――もっと、って言われたいんですけど?
そっちこそ、想定以上なことを言いすぎ。
ひとつだけ持ってた花束が、持っていた力が抜けて歩道に転がる。
「帰ろ。お前の打ち上げしたいし、二人で式のこと考えとかないと、口出されちゃうからさ」
チラッと見るだけで、なぜか拾おうとしてくれないのが律らしくなくて。
ううん、たくさん荷物持ってくれて手が塞がってるんだから全然不思議じゃないんだ。
一瞬間が空いて拾うと、何枚かの花弁は道端に散ってしまってた。
「小鈴? 」
「あ、ごめん」
何の謝罪か分からないと首を傾げて、重いだろうに器用に私の頭を撫でた。
「あらら。ちょっと折れちゃったね。でも、言ったでしょ。またいつでも、俺があげる」
私を見た時には、もういつもの優しい律。
でも、その花を見下ろした瞬間は、まるで汚れたものでも見るかのような、嫌悪感すら伝わる冷たい目だった。
「……あり、がと……」
大丈夫。
もう、こんなに甘く、愛しいものを見てる溺愛モードの目だ。
この瞳は、二度と変わらない。
少なくとも、私に注がれる視線だけは。
それって、ものすごく幸せなこと。
「俺こそ。……もう吉井くんいないよ。行こっか」
お見通しだって、ちょっと意地悪に笑う律は、やっぱり優しく甘い。
この先もきっと、私だけを大事に愛してくれる。
そんな確信、誰もが持てるわけじゃないと思うから。
――幸せ。
それも絶対、信じられる。
だから、安心して。
助手席のドアを開けて、待ってくれてる律のもとへ駆ける。
(幸せ……)
――三年なんて短かったと思えるくらい、この先も、ずうっと。
【再会彼氏〜元カレは自分を今カレのままだと誤認しているようです〜 おわり】