屋台の拉麺
屋台の拉麺
寺岡はラーメンが好きだった。特に醤油味を好んだ。いわゆる、支那そばと言われる奴だ。が、分厚いチャーシューの載った屋台の脂ぎとぎとラーメンも好きだった。
休日の前夜などは、アパートの前でチャルメラが鳴るもんなら、大急ぎで財布を掴み、サンダルをつっかけるほどだ。
それは、歌舞伎町の飲み屋で同僚と引っかけた帰りだった。
人気のない路地裏にぽつんとある、ラーメンの屋台が目に留まった。
「おう、ラーメン食ってこぜ。飲んだあとのラーメンがまた、うまいのよ」
泥酔気味の近藤を誘った。
「ん? ラーメン? あ、俺、とんこつ派なんだけど、あるかなぁ」
近藤は、寝起きのような半開きの目を向けた。
「バーカ。屋台と言や、醤油味に決まってんじゃんよ」
「……か。ま、嫌いじゃないから、いっかぁ」
近藤は足をふらつかせながら、寺岡の後をついていた。
「ラーメン、二丁」
寺岡が屋台のおやじに注文した。
「あいよ、ラーメン二丁ね。毎度っ」
おやじは威勢のいい返事をした。
「毎度って、初めてじゃん」
寺岡が突っ込んだ。
「ハハハ……すいませんね、どうも。口癖でして」
「ま、悪い気はしないけどね。おう、寝るなよ」
屋台の台に腕枕した近藤の脇腹を肘で押した。
「……できたら、起こしてくれ」
「ったく。酒弱いくせに誘いやがんだから。……てか、暇じゃん」
おやじを見た。
「人混みが嫌いでしてね。こんな路地裏じゃ、滅多に客も来ませんよ」
おやじは手を動かしながら、笑顔で言った。
「それじゃ、商売になんないっしょ」
「いやぁ、常連のお客さんが多いんで、十分営っていけます」
「だろな。じゃなきゃ、商売上がったりだ」
「ヘイ、お待ちッ!」
おやじが丼を置いた。
「クッ、うまそ~。おう、コンちゃん、ラーメンできたよぉ」
寺岡が肘で突っついた。
「……ぅ……ん?」
「起きろ。ラーメン食おうぜッ!」
「……ん」
近藤は徐に顔を上げるとラーメンを見た。
「……茶色のとんこつかぁ?」
「バーカ。醤油味だって言ってんだろ。ズルズル……ん。うめ~」
「……どれ。ズルズル……ムシャムシャ……クチャクチャ……ん? うめ~」
「だろぉ?」
「ありがとさんッ!」
おやじが礼を言った。
「こりゃあ、常連客もつくわ。ズルズル……う~ん、うめぇ」
「うまくて、目が覚めた」
近藤がおやじを見た。
「ありがとさんッ!」
「一見、濃厚に見えるが、意外とさっぱりした口当たりで、それでいて、スープにコクがあって。うむ……歌を忘れたカナリアが、ラーメンの美味に感動して、思わず美声をご披露って感じ?」
寺岡が感想を述べた。
「お前、食べ専レポか? てか、どんな味か伝わんないし。ズルズル……」
酔ってる二人は、意味不明な会話で盛り上がっていた。
それがきっかけで、歌舞伎町で飲んだ帰りは、その屋台でラーメンを食べるのがコースになっていた。
「おやじさんのうまいラーメンを食べて帰んないと、なんか物足りなくてさ」
馴染み客の一員になった寺岡は、一人でも来るようになっていた。
「ありがとさん。そう言ってもらえんのが一番嬉しいやな」
屋台のおやじは、一見、無愛想だが、喋ると言葉の端々に情のようなものが窺えた。
「おやじさんはもう、この稼業長いの?」
「だな……かれこれ、二十年近くになるかぁ」
「二十年か、すげぇ。その前は?」
「テラさんだから暴露するが、極道でしてね」
「プッ」
驚いた寺岡は、食べていたラーメンを吹き出した。
「……極道って、やくざ?」
「ぇ。ま、昔の話ですよ」
おやじの表情に、何かしら哀愁のようなものを感じた。
「……じゃ、足を洗って二十年てわけだ」
「え。けど、今でも性分は直らねぇ。非道な奴を見ると、気が立ってね。許せねぇんですよ、道理に反した奴らを見ると」
「正義感が強かったんだろな」
「どうだかね。単なる古い人間なんですよ。……きっと」
「…………」
おやじの名前も、どんな生い立ちかも知らない。だが、そこには時代遅れの、情に厚い一人の男の生きざまがあった。
それから間もなくだった。
「な、知ってるか? 殺されたって噂のある、山内組の元幹部の遺体がどこにもないんだとさ。噂じゃ、屋台のラーメンのダシにされたんじゃないかって話だ」
それが、歌舞伎町の飲み屋で耳にした【人骨スープ】説だった。
俄に嘔吐を催した寺岡は、トイレに走った。
その後、路地裏で例の屋台を見かけることはなかった。