夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません
 一定の間隔で書類に押印し、書類の束をばさばさと捌いていく。
 ふと顔をあげれば、シャーリーが笑顔を返してくれるような気がして、余計に胸が痛む。
 シャーリーはランスロット付きの事務官である。結婚した今も、それは変わらないはずだった。
 明るく落ち着いた色調であるこの執務室も、どんよりとした空気に覆われていた。まるで、この空間だけ霧がかかっているような、不穏な空気だ。その空気を作り出しているのは、もちろんランスロットであるのだが、彼自身はそれすら無意識である。
 だからこの部屋には、誰も入ろうとはしない。
 ランスロットが規則正しく書類に押印する音が響いているだけだった。
 それでも彼は、押印しながら愛する妻の名を、心の中でしきりに呼んでいた。
(シャーリー)
 ポン。
(シャーリー)
 ポン。
(シャーリー)
 ポン――。
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