無茶は承知で、今夜あなたに突撃します
「今夜の私は変でしたよね? 見た目もいつもと違うし、なんだか挙動不審だったでしょ。恥ずかしいので、まるっと全部忘れてくれませんか?」

「……ふたりで飲みに行った記憶すべてを、俺の頭の中から消せと?」

「はい。お願いします」

 燻製バルでの会話の内容や、素敵な志賀さんの表情ひとつひとつは、私がきちんと覚えていればいい。
 強引に飲みに連れ出し、大それた頼みごとをしようとして失敗した私のことは、彼には今日限り忘れてほしい。

「そ、それと……」

 おやすみなさいと声をかけて、さっさとアパートの階段を上って部屋に入ればよかったのに、神秘的な満月が私をさらに狂わせる。

「今からしてはいけないことをしますが、これも絶対に忘れてくださいね」

「……は?」

「一瞬だけ我慢してください。本当にすみません。先に謝ります」

 早口で必死に言葉を紡ぐ私は、いったいどんな表情をしているのだろうか。
 きっと悲壮感でいっぱいに違いない。だけどそれを気にする余裕は一切なかった。

 私は志賀さんの肩に自分の両手を置き、精一杯背伸びをして顔を近づける。
 驚いて少し前かがみになった彼の左頬に、かすかに触れるだけのキスをした。

 全部忘れてもらえる約束を取りつけたとはいえ、ずいぶんと大胆な行動をしたと思う。自分から男性にキスをしたのは初めてだ。
 私の中で最高の思い出としていつまでも心に残るはず。
 
< 19 / 81 >

この作品をシェア

pagetop