無茶は承知で、今夜あなたに突撃します
 週が明けた月曜日、彼女の見た目は元に戻り、デスクで静かに仕事をしていた。
 元々目立つタイプではないものの、必要以上に息を潜めるその姿は、まるで透明人間にでもなりたいかのようだ。

 わざと無視を決め込んでいるのか、俺にはひとことも声をかけてこない。
 俺と目が合いそうになると、逆に逸らせて不自然におろおろとしている。
 これではなにかしらアプローチしてくるかもと考えていた俺が、うぬぼれているみたいではないか。

 あ、そうか。忘れてくれと言っていたなと思い出した。
 丸ごと全部忘れろと? そんなのは無理に決まっている。
 キスはなかったことにしろと言うなら、百歩譲ってノーカウントでもいい。
 だけど彼女が流した綺麗な涙を、俺は忘れたくはない。……忘れられるわけがない。

「ところで、イメチェンは本当にあの日限定だったんだな」

 エレベーターでばったり会った神野さんに対し、俺は少々意地悪な探りを入れた。
 あれから一ヶ月経っているのに、未だにできるだけ俺との接触を避けようとしている態度が気に入らない。
 あの日のことはすべて覚えていると匂わすような発言をすれば、彼女はみるみるうちに顔を赤く染めた。

 話をするうちに、神野さんがなにか悩みを抱えているのだと気付いた。
 もしかしたら俺を飲みに誘った日に、相談しようとしていたのではないだろうか。
 なのに落ち込んでいた俺はまったく余裕がなくて、彼女のことについては聞いてやれず、自分の話ばかりしてしまった。
 最低だな。職場の先輩として後輩の悩みを聞く立場でなければいけないのに、あの日はまるで逆だった。
 このままでは彼女は退職して田舎に戻ってしまうかもしれない。

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