囚われのシンデレラーafter storyー
「あなたには分からないだろう。
プロとして舞台に立つプレッシャーと緊張感がどれだけのものか。
ただでさえ神経をすり減らす。その上、猛練習を積む。疲労困憊だ。
そんなことも考えてやれないで、あなたは恋人に会えると浮かれていたのか」
言葉を返したいのに、返す言葉は何一つ見つからない。
「今日、彼女を抱き上げた時、あまりの軽さに驚いた」
抱き上げた――?
「あの身体で、無理をすれば体調を崩すのも無理はない。私は、指揮者としてあなたに怒りを感じている。そして、男としても。だから、はっきりとあなたに言っておく――」
松澤が一歩俺に近付く。
「私は、ソリストとしてではなく、一人の女性として彼女を大切に想っている」
夕刻、行き交う人々の喧騒が、一瞬にして消えた。
「これまで結婚なんてまるで考えられなかったが、彼女に出会うためだったんだと恥ずかしげもなく言える。そんな風に思える人に出会ったのは初めてだ」
分かっていたことも、こうして本人が口にするのを直接聞けば、その意味は大きく変わる。
「彼女にはあなたがいることは承知の上だ。でも、あなたといるよりも、私といる方がいいと確信している」
自信と才能にあふれる男。
そんな台詞を言う時まで、まったく揺らぎのないその視線が俺を見下ろす。
「パリ公演が終わったら、この気持ちを進藤さんに伝えるつもりです。
簡単ではないことは分かってる。でも、どれだけ時間がかかっても、手に入れてみせる」
正々堂々と宣言するこの男の前で、決して揺らいだりしないように石畳に立つ足に力を込める。
そして、ビジネスの場で冷静に駆け引きするときのような、感情を消し去る表情を松澤に向けた。
「それは、あなたの勝手な感情だ。俺があずさに相応しかろうがそうでなかろうが、あずさが必要としているのは誰なのか。それを決めるのはあずさです」
この男の前で、何があっても怯んだりしない。
「あなたも、大人の男なら。あずさに、強引に自分の感情を押し付けるようなことだけは止めていただきたい」
松澤に背を向ける。
俺は、あずさのところに行かなければいけないんだ。
あの男から遠ざかるほどに、忘れていた胸の鼓動が早くなる。
松澤の、迷いのない声がどこまでも追いかけて来る。
早く、あずさのところに。
――佳孝さん。
あずさが、昨晩俺に見せてくれた優しい笑みが浮かぶ。
唇を噛み締め、気付けば走り出していた。