春の欠片が雪に降る
「瀬古さん、大人げないですって」
「うるっさいわ、ボケ」
木下の言葉に対し、吐き捨てるようにして自分のデスクへ戻って行った瀬古。
「逃げましたね〜」
木下が呆れ口調で呟いた。
「瀬古さん根は悪い人じゃないんですけどね、多分。何やかんや面倒見いいし」
「え、嘘でしょ、あれで?」
思わず本音が口から出た。
木下は「そうそう、あれで、です」と、微笑んで言った後。
「吉川さんて、かっこええっすね」
そう、吐息混じりに耳元で囁いた。
息遣いが、いつかの夜を思い出させる。
「……そ!? んな、ことない。それどころかちょっと言い方間違えたと思う」
咄嗟に耳を押さえ距離を取ってしまった。
うろたえた自分を隠すように、背筋を伸ばして答えるけれど、木下の笑顔はニコニコと深まるばかりだ。
隠せていない気がする。
若いというのに全くもって侮れない。
「っと、そうやそうや、今日は吉川さんこのまま中ですかね」
いつのまにやらデスクに戻っている中田の元へ確認をしに行ってくれたのか。
木下は、ほのりのそばを離れ歩き出した。
少しホッとしてしまう。
(なかったことにって言ってくれたのに!)
肝心の自分がこれでどうするのだと、内心で己を叱咤する。
それでも、できれば関わりたくないと思った相手に初日から何度も助けられてしまっていることは事実だ。
(こんな好青年も、プライベートでは遊び人なのか……)
自分のことを棚にあげ、あの夜の慣れた手つきの木下を思い出しながら中田と話す背中を眺める。
振り返った木下と目が合い、何故だかそれがとても眩しかったこと。目を逸らしたくなったけれど、しなかった。
(だってさぁ……)
普段ならそんなことはしないから。
しないことを、してしまってはいけないから。