春の欠片が雪に降る
「とりあえず、今日はそれだけです」
そう言った後、木下の手が離れて、ほのりは自分の手をやけに冷たく感じてしまった。
いや、木下の手が暖かかったのか。それとも、木下の手だから暖かく感じたのか。
「あ、駅まで送ります」
「木下くんは電車乗らないの?」
ゆっくりと歩き出した木下の少し後ろを歩く。さっきまで触れていた指先にどうしても目がいってしまうのは実は欲求不満だったりするのだろうか。
恥ずかしすぎる。
「はい、僕、ここ徒歩で来れるんで」
あっけらかんと言われてしまったが。
「それならいいよ、駅すぐだし」
「いやもう遅いし、心配です」
女の子扱いが、どうも気恥ずかしい。慣れないというか。
(私相手におかしいよっていうかさ)
「こんな迫力あるデカい女、心配しなくても余裕で帰れるよ」
「心配すんなてか……」
呆れたように肩をすくめた木下が、大げさなため息を吐く。
そのまま少し身を屈めて、ほのりの耳元に唇を押し当てた。
思いっきり仰け反ったが、腰に手を回され身動きが取れない。
「俺みたいな男は、他にもおるやろから」
ぞくりと背筋が震えて、脳へと警鐘を送る。
「心配するに決まってるでしょ」
「こ、こら、やめ……やめなさい!」
何とか絞り出した声は上擦っていた。
残念そうに口を尖らせた木下が、ほのりを開放し、少し距離を取る。
両手をあげて、これはまるで降参のポーズ。
「はい。やめるんで、駅まで送ります」
「……わかった、ありがとう」
「駅までで我慢しますね、えらくないっすか。ほんまは家の前まで行きたいけど」
「そんなのいらないから!」
ダメだ、どうしよう。リズムよく受け答えするほのりの内心は、焦りに焦りまくっていた。確かに心の声が頭の中にまで響いてきてしまったからだ。
「あ、家着いたら教えて欲しいんで連絡先そろそろ教えて下さい」
「そろそろって……いや、会社のお互い知ってるじゃない」
「休みの日電源入れてへんもん」
(もんって何よ!? 可愛いからね!?)
とりあえず早く木下のそばから離れてしまいたいほのりはスマホを取り出し、メッセージアプリのIDを表示させた。
「ほんまは、あん時聞きたかったけど起きたらもうおらんし」
「…………急いで、たから」
ほのりのスマホの画面には、和希という名前と某V1リーグチームのタオルを手にした木下と友人らしき男性の写真のアイコン。
「じゃ、行きましょっか」
ゆっくりと笑みを作る、その顔から目を逸らしたくない。でも、見ていられない。
(どうしよう、無理、いまさらダメ)
熱くなっている頬にそっと手を当てる。
――頭に響いてきた声は、確かに叫んでしまっていたんだ。
この人が好きと。