虐げられた臆病令嬢は甘え上手な王弟殿下の求愛が信じられない
イラーナ様たちが見えていないのか、部屋に入ってくるなりオリビア様の髪を力いっぱい掴み、部屋を出ようとしました。
「いっ……。お父様っ……」
「大規模な魔物の大群を退ければ、お前もクリフォード家の末席に加えてやろう。ずっとお前が望んだ家族との時間も作れるんだ。喜べ」
「…………」
若い少女に乱暴を働こうとするのを見るだけで気分が悪いものですが、それ以上にセドリック様の伴侶となられるであろうという女性に対しての扱いだと思うと殺意が湧きました。
そしてそれは、わたくしだけではなく、その場にいたイラーナ様、前王様、ディートハルト様も同じようでした。
一瞬にして空気が凍りつきます。この段階で、他種族であれば命乞いをするレベルでしょう。しかし頭に血が上った中年の男は全く気付いていないようです。トマトのように顔を真っ赤にして激昂しているではありませんか。あまりにも力の差が離れてしまうと分からないのでしょうか。「いっそトマトのように潰して差し上げようかしら」と思った瞬間、部屋を連れ出されようとしていたオリビア様は中年の男の腕を力いっぱい掴み、投げ技で床に叩きつけたのです。
「ぐっ、があああああああ」
「いい加減にしてください、クリフォード侯爵。客人の前でフィデス王国の顔に泥を塗るおつもりですか」
見事なまでの手さばきでした。空気の読めるオリビア様は、このままではこの国が滅ぶとでも判断したのでしょう。実力行使に出た判断は英断だと称賛に値します。本当に素晴らしい。
愚かな中年の男は受け身も取れず、床にへばりつきながらオリビア様を睨みつけました。ああ、本当に何もわかっていない、脳味噌がないのかもしれませんね。わたくしが一歩前に出かけた瞬間、先に割り込んだのはディートハルト様でした。
「この国では他国の来賓の前で、醜態を見せるのがしきたりなのか? ……クリフォード侯爵、だったか」
「誰に向かって──ひっ」
中年の男はソファに座っていたイラーナ様たちにようやく気付いたらしく、真っ赤な顔が一瞬で真っ青に変わりました。面白いぐらい情緒が不安定な方なようですね。今までの醜態を必死で取り繕うと、立ち上がり愛想笑いを浮かべました。なんでしょう、腹が立ってきたのですが。ディートハルト様が「良い」と言えば瞬殺したいのですが。
「こ、こ、これは──竜魔王陛下! も、申し訳ございません! 貴方様がいらっしゃったとは伺っておらず、大変失礼な真似を致しました!」
「お前と話す気はない、早々に立ち去れ」
「ははっ! 失礼しました。ほら、いくぞ。オリビア!」
「いや。出て行くのは侯爵お前ひとりだ。我らは彼女と話がある」
「え、この娘が……ですか? 竜魔王陛下、馬鹿娘は長く辺境の地におりまして、社交辞令や礼儀が全く分かっておらず」
「二度は言わん。それとも侯爵は爵位に興味がないのか?」
「と、とんでもございません! 失礼します」
脱兎の如く中年の男は部屋を飛び出して行きました。最初から最後まで貴族らしからぬ品性に欠けた下等生物でした。静かになった後、オリビア様はディートハルト様に頭を下げて謝罪をします。貴女様が謝罪することなどないというのに。
「頭を上げるといい。謝罪も不要だ。……時にオリビア、そなたは厄介な悪魔族に狙われたものだな」
「え。悪魔族……ですか」
「ああ。何となく──だったが、先ほどの侯爵を見て分かった。そなた幼少の頃より、同族だけに嫌悪感や敵意や殺意を向けられることなどはなかったか?」
「!」