重愛注意】拾われバニーガールはヤンデレ社長の最愛の秘書になりました 3

押し寄せる苦しみ

「誘われても、それとなく断ってた。そういう気持ちになれなかったし、健二くんと付き合ってはいたけど、好きで堪らないっていう気持ちじゃなかったの。……今だから分かるけど、私は彼に恋をしていなかった」

『……うん』

「でも健二くんは、とってもしたいみたいだった。それでも私は避け続けて……。大学一年のクリスマス近く、三時間の待ちぼうけをしたの。結局、健二くんは来なかった。今日聞いたら、その前に喧嘩をしたから『ちょっと困らせてやろうと思った』だって」

 佑は電話の向こうで溜め息をつく。

「あとから噂で聞いたのを思い出した。私が三時間待っていた時、健二くんはナンパした女の子とデートしてホテルに行ってたんだって。……馬鹿みたい」

 自嘲気味に笑う香澄に、佑は返事をしなかった。

「今思うと、当時は初めての彼氏で、嫌われたらやだな、別れるって言われないようにしないとって、必死になってた。彼に恋をしてた訳じゃないのに、初めての彼氏だから、お付き合いをちゃんと成功させないとって思ってた」

『香澄は完璧主義なところもあるよな。ちょっと分かる』

「当時地味な服を着てた私に、健二くんがもっと服に気を遣えって言った。それで、私はバイトを始めたの。それがきっかけで八谷グループと出会えたから、感謝はしている。でも、私がお金を持ち始めたら……ちょっと態度が変わった気がする。男の子だからご馳走してほしいなんて思ってないけど、学生なら割り勘で、〝同じ〟でいたかった」

『うん』

「でもお財布を『忘れた』って言って私がご馳走する事が多々あったり、お金を貸してあとで返すって言ってそのままだったり……。プレゼントも、値段が釣り合わない感じだったり……。何か、『大切にされてないな』って思った。それでも私は、別れる事を恐れてた。〝失敗〟したくなかった。初めて付き合ったから、どう感じたら別れを切り出したらいいのかとか、そんな事も分からなかったの」

『うん。初めて付き合った時は、何もかも手探りだよな』

 佑の相槌を聞いて、彼が初めて付き合った人はどんな人なのだろう、と思い、少し悲しくなった。

「付き合って一年半経ってもエッチしないって、普通じゃないのかな?」

 いまだ不安が強く、香澄は佑に泣きそうな声で尋ねる。

『分からない。そのカップルで違うと思う。好きなら抱きたいと思う。でも、俺は相手が嫌がってるなら無理強いしたくない。お互いしたいと思っていても体に理由がある場合もある。好き合っていて何も問題がなくても、タイミングはある』

「……うん、そうだよね。ありがとう」

 自分が考えていた事と同じ返事があり、香澄は安堵する。
 そして声を震わせながら、話の本題を切り出した。

「……忘れてた、……んだけど、…………私の、初めては、…………良くないもの、だった」

 っはぁ……、と息を吐き、吸って、震えた息を吐く。

『……香澄、落ち着いて。ゆっくり息を吸って……、そう』

 佑に言われる通り、香澄は深呼吸を繰り返す。

「健二くんと初めてしたのは、大学二年生の秋だった。……多分もう、我慢しすぎて健二くんは、やけっぱちになっていたんだと思う。……夜に、寝ようとした時間に、健二くんから連絡があった。『どうしても会いたい』って言われて、家の近くまで車で来てるって言われたの」

『うん』

「健二くんと私の家、離れてるから、せっかく来たのに追い返すのも忍びなくて……、私、適当に服を着てコートを羽織って、彼の車に乗った」

『……うん、それで……?』

「『海に行こう』って言って、健二くんは車を走らせたの。私は家の近くで話して、すぐ帰るつもりだった。でも車に乗ったら降りれなくて、そのまま海まで連れて行かれた」

 佑の相槌はない。
 香澄の馬鹿さ加減に呆れたのかも分からないけれど、今は自分の事しか考えられず、口が動く。

「帰りたかったの……。でも、帰れなかった。……健二くんの醸し出す空気が怖くて、一生懸命お喋りをして誤魔化そうとしたけど……っ。助手席を倒されて、……私……」

 ギュッと目を閉じて、香澄は大きく口を開けた。
 スマホを耳元から離し、懸命に呼吸を整える。

 ――私は、レイプされた。
 ――相手が付き合っていた当時の恋人でも、意に沿わないあれはレイプだった。

 目を閉じると、まな裏にくっきりと当時の光景が蘇る。

 晩秋の冷たい月の光。
 押し寄せては引く、波の音。
 シルエットになりながらも、ギラギラとした目をした健二の顔はよく覚えている。
 車の中に香澄の小さな悲鳴が響く。
 服をむりやり脱がされ、脚を開かれた時に感じた空気の冷たさ。
 応えようとしない体にねじ込まれた指、無理に動かされて違和感しかなく、それでも濡れた音を立てた自分の体に絶望した。

『好いだろ?』と尋ねてきた健二を、ひっぱたいてやりたい気持ちになった。
 恋人なのに、されているのは彼氏彼女がするセックスなのに、香澄の気持ちも体も何一つついていっていない。

「待って!」と何度言ったか分からない。
 何に対しての「待って」なのか、自分でも理解していない。

 急に行為に及んだ事について、拉致されるようにして車で海まで連れ去られた事について、自分の気持ちも、望んで応じている訳ではない事も、すべてにおいて健二は〝待って〟くれなかった。

 ――もういいや。

 抵抗するのを諦めた香澄は、心を殺した。

 ここで下手に抵抗して、怒った健二に置いてけぼりにされては困る。
 家の近くで話してすぐ戻るつもりだったので、財布も、スマホすら持って来ていなかった。

 ――多少痛くても、大人しくしていたら終わるんだ。

 そうして、香澄は何も考えないよう努めた。

 揺れる車。
 呼気で曇っていく窓。
 健二の喘ぎ声。
 体内に出入りする異物。

 感情を殺した香澄は、人形のようにされるがままになり、涙を流していた。

 その日は茫然自失となったまま、健二の行為が終わったあと家まで返された。

〝こんな自分〟が健二と一緒にいるところを、家族に見られたら困る。

 そう思って、香澄は家の前でなく、少し離れた場所で下ろしてもらった。
 時刻は何時だったか分からない。
 けれど深夜過ぎなのは確かで、香澄が部屋にいない事に気付いた家族が、香澄の名前を呼んで近所を探し回っていた。
 歩いて帰った香澄を見て、母は泣いていたようだった。
 弟にがっつりと怒られ、父は疲れた表情をしていた。

 ――何もかも、私が悪いんだ。

 冷え切った体でベッドに潜り込み、必死に眠ろうと努力した。

 その辺りから、香澄の世界は曖昧になっていった気がする。
 一度「もういいや」と諦めた香澄は、その後健二に誘われても断らなかった。

 ――もう戻れない。

 処女を大切にしていた訳ではない。
 初めてをそんなに重要視していた訳でもない。

 けれどもう二度と、自分が〝元〟に戻れないと分かっていた。

 表向き、何事もなかったように振る舞い、大学にもきちんと通った。
 麻衣には「最近やけに明るくない?」と言われたが「普通だよ」と嘘をついた。

 嘘ではない。

「普通だよ」と自分にも言い聞かせ、〝本当〟にする必要があったのだ。

 自分は傷ついていない。
 レイプされていないし、あれは恋人同士の合意の行為だった。
 自分は可哀想ではないし、いつも通り過ごせる。

 自分も周囲も欺き続けた代償は、ストレスによる拒食と過食だった。

 食べて、吐いて、食べず、食べて、吐いて。

「……ふ……っ、う、――――ぅっ、……うっ」

 いつの間にか、スマホは香澄の手から滑り落ちていた。

 うずくまったまま嗚咽する香澄の耳に、砂地を踏みしめる足音が聞こえる。
 涙に濡れた目で顔を上げると、少し息を荒げた佑がこちらにやってくるところだ。

「――――っ……」

 両手を広げると、佑は息をついて泣きそうに顔を歪めてから、優しく抱き締めてきた。

「もう、一人じゃないよ」

「う……っ、――――うぅ……っ」

 思いきり佑を抱き締めた香澄の目から、次から次に涙が溢れてくる。

 地面に膝をついた佑を抱き締め、彼の匂いを思いきり吸い込み、肩口に顔を埋める。

 顔を伏せる直前、公園の入り口近くに久住と佐野が立っているのが見えた。
 恐らく香澄が気付いていなかっただけで、かなり前から公園に着いて見守っていてくれたのかもしれない。

「今日、行かせたのが間違いだった。心の広い彼氏を演じたかったけど、本音のまま『会わないでほしい』と言えば良かった」

「ううん……っ、佑さんのせいじゃない……っ」

「冷えるから、帰ろう」

 ――「帰ろう」って言ってくれるんだ。

 佑の優しさが胸に染み、香澄はまた新しい涙を流す。

「……うん。……帰ろう」

 立ち上がった香澄の体はすっかり冷えていた。

 けれど佑の温かい手に手を握られると、そこから全身がポカポカしてくる。

 昔の事をドッと思いだしたからか、香澄はほぼ何も話さず、ボーッとしたまま歩いた。

 途中にあったコンビニで、佑は温かいカフェオレを買ってくれた。
 それを飲んでお腹の奥を温かくすると、気持ちが一気にリラックスした気がする。

 御劔邸までの残る距離は、先ほどまでよりもしっかりとした足取りで歩けた。
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