最後の詰みが甘すぎる。
「おはよう、瀬尾さん」
「おはようございます、山崎部長」
出社するなり窓際のデスクに座る山崎部長からお決まり挨拶をもらう。山崎は五十代後半の白髪混じりの頭髪と分厚い眼鏡が特徴だ。あとは……。
「昨日の津雲三冠の対局見たかい?配信見てて痺れちまったよ!!」
「対局なんか見てませんよ。あと山崎部長、朝から将棋の話はやめてください」
柚歩は呆れながら自分のデスクに腰掛けた。
「いや、でもさあ?瀬尾さんだって嬉しいだろう?兄弟子が名人挑戦なんてさ」
「挑戦者になっただけで名人になったわけじゃないんですから、そんなに喜ばないでください。それに、正確に言えば彼は私の兄弟子ではなく弟弟子です。弟子になったのは私の方が早かったんですから」
柚歩は書類の角を整えながら山崎の無駄話を受け流した。
山崎の将棋談義はいつものこと。大半の社員は相槌を打つぐらいだが、柚歩はきっちりと言い返す。
山崎はガハハと豪快に笑った。しかし、次の瞬間には何かを噛み締めるようにしみじみと言った。
「瀬尾九段も、草葉の陰で喜んでいるだろうな……」
柚歩は聞かなかった振りをして自分のパソコンの電源を入れた。
瀬尾九段というのは柚歩の父親のことだ。タイトルを獲得したこともあるトップ棋士だったが、十四年前に亡くなっている。
柚歩と廉璽はかつて父の弟子として共に将棋を指した仲だ。それも今は遠い昔の話だ。