最後の詰みが甘すぎる。
(廉璽くんが負ける……?)
嫌な汗が背中をつたっていく。
幼い時から廉璽と将棋を指してきた柚歩にとって廉璽の負けはそれほど珍しくない。この世に無敗の棋士などいない。
けれど、これは名人戦第七局の二日目だ。奇しくも父が亡くなったのと同じ日、同じ場所で。棋士として廉璽が負ける。
目の前が真っ暗になるようだった。フラリとよろける身体を山崎がすんでのところで受け止める。
「瀬尾さん、大丈夫かい?」
「す、すみません……」
柚歩は体勢を立て直すと、再び対局を見守り続けた。
公式戦の対局を観戦すること自体、久しぶりだ。それこそ、父が倒れたあの日以来……。
(あ……)
その時、柚歩はある事を閃いた。
「山崎さん……。昔の棋譜ってすぐ出せます?」
「公式戦ならネットで検索すれば大体出てくると思うがねえ……」
「十四年前の名人戦第七局、右近寺名人対瀬尾九段の棋譜をください」
山崎は理由も聞かず柚歩の言う通り棋譜をプリントアウトしてくれた。
プリントアウトされた棋譜は、最後まで記されていない。柚歩の父の手番で終わっている。次の手を打つ前に、途中で棄権したからだ。
そこに『1六銀』を書き加えると棋譜が別の意味を持つようになった。複雑で分かりにくいせいで山崎は首を傾げていたが、父から将棋を教わった柚歩には直ぐにわかった。