最後の詰みが甘すぎる。
右近寺の助けを借りて控室の和室にやってきた柚歩だったが、肝心の廉璽がどこにも見当たらなくて焦ってしまう。
(どこに行っちゃったんだろう……)
和室の中で廉璽を探す内に、ガラス障子の向こう側に薄鼠色の羽織を見つける。
控室の和室には内庭があり、六月の霧雨を受け露に濡れた紫陽花が美しく咲いていた。
廉璽は紫陽花を眺めるように縁側にひっそりと座っていた。
「廉璽くん」
「柚歩、来てたのか?」
柚歩は廉璽の顔を見るとまっすぐ彼の胸に飛び込んだ。
「もう……私……生きた心地がしなかった……。廉璽くんが勝ってくれてよかった……」
ぎゅうっと抱きしめながら涙声で訴えると廉璽は照れ臭そうに笑った。
「今日勝てたのは柚歩のおかげだ」
「ん……」
顎をすくい上げられ、唇を押し当てられる。角度を変え、何度も求め合う。
将棋ばかりしてきたのにどこでこんな甘いキスを覚えたのだろう。
「いつからお父さんの最後の一手を探していたの?」
「頭の片隅にはずっと置いてあったんだ。棋士になったらわかるかと思ったけど、タイトルを奪取しても全然わからなかったよ。思いついたのは本当に今朝だった。名人戦の土壇場までこないと見えない会心の一手だった」
「ありがとう、廉璽くん」
お礼を言われた廉璽はキョトンとしていた。その顔が面白くて柚歩は笑った。
「いいの。理由なんて分からなくて」
柚歩だけがわかっていればいい。廉璽の一手は柚歩の楔を解き放っただけでなく、秘めようとしていた恋心までも露わにした。